Renovation Archives [038]
木島安史
●住宅[講堂] 《孤風院》
取材担当=大原智史

概要/SUMMARY

左:解体直前の講堂の外観
右:現在の孤風院の外観
移築前の建物は、1908年に熊本高等工業学校(現在の熊本大学工学部)が開校した際、その講堂として建てられた。1974年に取り壊しが決定した際、建築家木島安史の手により孤風院として生まれ変わる。
時は高度成長期。建設ラッシュで多くの歴史的建築物が取り壊されていた。戦争の空襲を逃れ、講堂は明治の建物では唯一の木造として残っていた。そんな中、建設後60年が経て維持費もかさみ、懸念され始めた老朽化と、学生運動により占拠されることを恐れた大学の思惑もあり、取り壊しが決まった。
その話は、当時熊本大学で教鞭を執っていた木島の耳に届き、何とかしようと働きかけた。結局買い手は見つからず、自ら解体費を払い、廃材を買い取った。講堂のような大きな建物の敷地は予算的にも熊本市内には見つからず、阿蘇の山奥に住居兼アトリエとして蘇ることになる。それが孤風院である。
設計概要
所在地=熊本県阿蘇郡阿蘇町
用途=個人住宅(以前は大学の講堂)
構造=木造・規模=地上2階
敷地面積=957平米・建築面積=193.5平米
延床面積=219.35平米
竣工年=1975年〜現在に至る(既存:1908年(明治41年))
設計=木島安史
施工=水上建設

木島が描いた孤風院の内部スケッチ。このスケッチをもとに、孤風院の会によって床は仕上げられた
施工プロセス/PROCESS
1975年10月、講堂は解体され、部材は阿蘇へ運ばれた。
翌年5月、春の訪れを待ち、孤風院の建設は始まった。
孤風院の手法の特徴は、平面型が正方形になり、中央の広間を囲む回廊式を取り入れたことである。通常の移築と大きく異なる点だ。住宅としては、講堂のような大きな空間は必要ない。不必要なものは取り除き、腐った材は捨て、使える材料のみで行なった素直なリノベーションといえる。玄関の上部には2階がつくられ、書斎、子供部屋として活用されている。また、玄関と反対側の間取りは、寝室、洗面・便所、食堂に用途変更し、風呂が付け加えられている。外部のペンキ塗りなどは自分で行い、79年頃にはほぼ現在の形になった。
第二の特徴は、小規模だが、常に変わり続けていることである。木島自身、孤風院に将来の夢をいくつも描いていた。夢を描き続け、そこにさまざまな光景を浮かべ、重ねていった。そのスタンスが孤風院には注入されている。92年、木島亡き後は、孤風院の会が立ち上がり、木島の遺志を継ぎながら管理を行なっている。広間と回廊との間にもうけた階段と、床仕上げの大理石への変更。外部の補修、内部の漆喰塗り、断熱性の向上を、伊東豊雄、石山修武、中村享一らを迎えワークショップで行ない、古谷誠章を審査員長としたコンペの実施とその実現等が、現在までの孤風院の会の主な活動内容だ。作り始めから現在に至るまで、常に変容し続けている希有な例と言える。
左:平面図/右:断面図
左下
:解体前の平面図
上:解体前の講堂の内観
下:軸組完成時の外観
左:2階からの内観。まだ壁が仕上がる前の状態
右:現在の内観。舞台より玄関を見る
現状/PRESENT

広間の床は木島のスケッチをもとに大理石が張られた。置かれている木製の家具も、ワークショップでつくられたもの

トイレ内部。奥は寝室

玄関より見た広間。舞台上のプロセニアムの中には木島の遺影が飾られている

食堂の天井

室内に取り付けられた家具。ワークショップの際の道具などの置き場として、孤風院の会により設置された

玄関脇より、食堂の入り口を見る
■コメント
九州、熊本、阿蘇。孤風院に近づくにつれ、南国というイメージは消えていった。阿蘇特有のカルデラに囲まれたその場所は、とにかく寒い。天井の高い空間は、とにかく底冷えする。よほど強い意志がないと住めない住宅だ。自身の手記(『「孤風院」白書』[住まいの図書館出版局、1991])にもあるように、寒さと大自然の中で、木島と孤風院は変わり続けた。この一風変わった空間に住みながら、住宅とは何かを問い続けた。曰く、「建築はほんらい、人を守るためにつくられる。しかし、この場合は人が建築を守らなければならない。建物も変わらざるをえないし、人もまた変わった生き方をすることになった」。それが孤風院と木島安史である。
そんな木島の存在を知らない世代の学生が今、孤風院を支えている。住み手はいなくなり、その役割も変わっている。維持、修復だけでなく、どう「リノベーションし続けるか」を日々探究している。建築は、その場所を通して多くの人の記憶に刻まれる。時代も変わり、人も変わるが、場所がないと何も生まれないという木島の精神は、阿蘇の山奥に存在し続けている。多くの人の記憶、価値を消さないために残された孤風院が、今では人に何かを起こさせる原動力となっている。
(大原智史)
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