Renovation Archives [043]
Mz design studio 宮崎浩一
●現代美術ギャラリー[銭湯] SCAI THE BATHHOUSE
取材担当=大家健史

概要/SUMMARY

左:リノベーション前、既存建物外観
写真提供:白石コンテンポラリーアート
右:リノベーション後正面外観
撮影:上野則宏
写真提供:白石コンテンポラリーアート

■歴史的なまちなみが今なお残る東京都台東区谷中。美術館や博物館が数多く存在し、東京藝術大学もある上野に隣接する地域である谷中ではまちなみを活かしたアートによる地域活性化の動きが草の根的に展開されている。例えば「art-Link 上野-谷中」は地域のギャラリーなどが協力し合い、まちを舞台に毎年開催しているアートイヴェントである。古い建物をアートのためのスペースをリノベーションして活用している事例も多い。その谷中で、銭湯を現代美術のギャラリースペースにコンバージョンしたのがこの《SCAI THE BATHHOUSE》だ。もともとは柏湯という天明7年(1787)に開業した約200年の歴史をもつ銭湯。川端康成、池波正太郎、宇野浩二、朝井閑右衛門など多くの文化人に愛されていた。ここはテレビドラマ「時間ですよ」のモデルにもなった場所である。その柏湯が、内風呂の一般家庭への普及にともない1991年1月に廃業した。その後、廃墟となっていたこのスペースを舞台として石橋蓮司の劇団「第七病棟」によって「オルゴールの墓」が上演された。このことをきっかけとして柏湯の七代目・松田橿雄氏はこの場所をコミュニケーションの場であった銭湯の意味を引き継ぐ文化的な空間にしたいと考えるようになったという。そして、93年に地元の地域保全活動に取り組むグループ「谷中学校」を介して、独立するための場所を探していた当時の東高現代美術館副館長、白石正美氏と出会い、この現代美術のギャラリースペースが誕生した。白石氏の提案のもと、リノベーション設計はMz design studioの宮崎浩一氏によって行なわれた。

設計概要
所在地=台東区谷中6-1-23
用途=ギャラリー(以前は銭湯)
構造=木造 一部RC造
規模=地上2階
敷地面積=238.37平米
建築面積=184.4平米
延床面積=244.88平米
竣工年=1993年(既存:1787年)
企画=谷中学校 手嶋尚人
設計=Mz design studio 宮崎浩一
施工=佐藤勝雄工務店

リノベーション後東側外観
施工プロセス/PROCESS
■銭湯の特徴でもある瓦屋根や煙突などの外観はほぼそのまま残している。大型の作品を搬入出できるようにエントランス脇の壁を大きなガラス扉にした。ガラスにすることで光を多く取り入れ、通りから中の展示が見えるようになっている。また、もう一方のエントランス脇はテラスを増築している。内部は浴槽などの設備は取り外され、150mm厚のコンクリートの床と白壁に覆われたニュートラルな大空間とした。ギャラリー中央部分にはもともと柱があったが、大空間を確保するために、トラス梁を新設し、柱をはずした。天井の木枠や窓などは既存のまま。洗い場だった場所は天井高が7mを超える展示空間。既存の窓から自然光をたくさん取り入れることができるので、それを補足するかたちで照明が新設された。照明はライティングデザイナーの海藤春樹氏によるもの。これらは作品の種類や展示内容によってさまざまな調光を行なうことができ、上下に移動することも可能。釜場を倉庫および小展示スペース、住居部分を事務所にした。浴槽のあった部分に階段および展示用の壁が増設されている。
左上:一階平面図拡大
上:短手断面図
拡大
:長手断面図拡大
図版提供:白石コンテンポラリーアート
左:リノベーション前の番台
右:リノベーション前の洗い場
ともに写真提供:白石コンテンポラリーアート
左:解体の様子(1993年3月31日)。中央にあるトラス柱は取り外された
右:解体の様子(1993年4月7日)。大空間をつくるために余分なものは撤去された
撮影:安斎重男
左:外観の瓦屋根や煙突はそのまま残している。右脇は大きなガラス扉にし、左脇にはテラスを増築している
右:室内から見たガラス扉。道路側に大きな開口をつくることで大きな作品も搬入出ができるようにしている
左:左側のウィンチで照明レールを上げ下げする
右:トラス梁を見上げる。もともと中央にあった柱が切り取られている
現状/PRESENT

谷中のまちなみの中で独特の破風や煙突、タンクなど銭湯の外観が残っている。手前にはテラスが増築されている

エントランス。営業時間の前後にのれんを出し入れする銭湯時代の習慣が現在も継続されている

銭湯時代の靴箱が残る。表面を残し、奥行きの浅い入れものになっている。薄くて小さい作品などはこの中にかけることができる

受付カウンター。甲板は銭湯時代のお湯を沸かしていた釜の蓋に使われていたものを利用している

奥の一段高い空間がミーティングスペース

もともと脱衣所だった場所の天井は扇風機などがそのまま残されている

ジュリアン・オピー展展示風景(2000)
(C) Julian Opie
写真提供:白石コンテンポラリーアート

ギャラリースペース。上部の窓からは自然光がこぼれ、新設された照明は上下に移動することができる。壁の裏側には階段が増設され、事務所へ上ることができる

中村政人展展示風景(2003)
撮影:木奥惠三
Courtesy Nakamura Masato
写真提供:白石コンテンポラリーアート


積水化学工業が1970年に開発した量産型ユニット住宅「M1」をリユースし、ギャラリースペースに入れ子状にインスタレーションした作品。銭湯の洗い場がギャラリースペースに転用され、その空間のなかでM1のユニットが美術作品として転用されている
■コミュニティ・スペースのリノベーション
ヒューマンスケールのまちなみのなかにそびえ立つ大きな煙突、銭湯の外観。しかし、足を一歩なかに踏み入れるとそこにはアヴァンギャルドな現代芸術が展示されている。まるで昔は日常的だった銭湯の空間が時代の変化とともに非日常的なものへと変貌を遂げていることを表現しているかのようだ。ここでは特徴ある銭湯の各要素を巧みに取捨選択することで、銭湯の大空間を活かし、作品によってはニュートラルな空間性を必要とする現代美術の展示空間へとうまく転用している。
一方でこのギャラリースペースは、内風呂の普及や後継者問題、若年層の利用者減少などを要因として年々衰退傾向にある銭湯の先駆的な転用事例としても評価できる。都内では他にもレストランや音響スタジオにしたコンバージョン事例などがあるが、これらの事例がその後の全国的な銭湯活用の動きに与えた影響は大きい。銭湯の利用者数は年々急激なスピードで減少しており、東京ではこの30年の間に2000軒近くの銭湯が廃業に追い込まれている。そのような現状のなか、高齢社会における介護サービスの需要と合わせたかたちの銭湯の活用方法も全国に広がっている。1997年に従来介護サービスの場として認定されていなかった銭湯を含む小規模施設の使用を許可する「介護保険法」が公布されたことを発端として、近年では「公衆浴場の確保のための特別措置法」が改正され、デイサービス事業を行なう施設に対して国と地方自治体が援助金を出すなど、銭湯での介護サービス事業化を国を挙げて促進する動きが見られる。午前中はデイサービス、午後は一般の入浴サービスを行なうなど、デイサービス事業を併設する「デイ銭湯」などの活用事例が各地で見られる。
江戸時代、銭湯は人々が集まり情報交換を行なう重要なコミュニケーションの場であった。地域に密着したこのような展開によって再び人々が集まり、銭湯が新たなコミュニティ・スペースとして生まれ変わっている。
(大家健史)
Archives INDEX
HOME