プロローグレクチャー

コンバージョンを成功させるには
田村――コンバージョンの研究をずっとやってモデルケースをやってきたわけですが、現実問題としてコンバージョンがなぜできないのかいろいろ検討して考えたところ、建物にも問題があるけれども、一番の問題は実は所有者なんです。ビルの経営がうまくいかなくて空きビル状態にしてしまった同じ経営者がそれを賃貸住宅に変えて経営できるかというところなんです。つまり借金が多すぎるとか、銀行に対して信用力がないとか、経営的な能力がない、あるいは意欲がない、ということなどがあげられるわけです。そうすると、コンバーションを成功させるには、本当はまず所有者をコンバーションしなければならないというのがコンバージョン研究会の隠れた答えだったわけです。報告書には書けないのですが、実はこれが真理です。
例えば、日産がダメなら日産のトップが交替します。経営者を代えないと企業が再生できないのは常識なのに、なぜビルオーナーのコンバージョンは考えないのかという話になるわけです。ビルオーナーは立地的にポテンシャルがあるからコンバージョンできるという話がありますが、ポテンシャルがあるにもかかわらずギブアップしないから経営的にはダメなんです。ビルの用途を変える前にオーナーをコンバージョンするのがコツです。求道学舎はギブアップしてくれました。マスコミに何回かとりあげられたのと口コミだけでしたからはじめは苦戦したんですが、5カ月くらいで意欲があってお金を調達できる人が10人集まったんです。築79年の建物にお金を出して直して住もうというのはすごいことですが、とにかくそういう人が集まり、オーナーが代わることで初めてコンバージョンができることになったんです。土地を手放すのが嫌なら建物を買い取ると、これは必然的に定期借地権になります。定期借地権の一時金は今まで権利金か保証金という二つに一つでした。保証金は、例えば1000万円預かっておいて、50年後に定期借地権が終わる時に1000万円返すという話です。一方権利金は1000万円もらっても返さなくていい。返さなくていいならそのほうがいいじゃないかと思いますが、それをもらってしまうと地主さんの所得となって課税されるんです。そうするとすごい所得になって半分くらいは税金にもっていかれる。そうなると地主さんは権利金よりも保証金がいいということになるわけです。ただ、保証金でも何軒分かまとまると億を超えますから、50年後に1億数千万返すのはひょっとしたら子孫に対してとんでもないお荷物をつくっているのではないかと地主さんは不安になります。一方入居者にしてみれば、地代はずっと払っていかなければならないので、老後のことを考えると一時金の方が気が楽なんです。だから、定期借地権は、本当は一時金が多くて地代が少ない方がいい。ところが税制の仕組みで、これまではそれがダメだったのが、今年の1月に国交省と国税庁の間で手打ちがありまして、例えば1000万円の賃料で50年だとしたら年間20万円になりますが、地主さんはこの20万円の所得で毎年申告すればよいという仕組みができました。払う方は前払い賃料については20万円を経費で落とせて、いわゆる償却ができることになります。これはかなり画期的な制度で、これを使えば、古いビルを所有者が直すのではなく、利用したい人が買

難波――今の話を聞いて腑に落ちたことがあります。ヨーロッパでは共同住宅が主流で、戸建て住宅は貴族かお金持ちの住宅くらいなのに、日本の場合は一般市民の住宅にも戸建て住宅が多いのはなぜか、というのが僕には大きな疑問でした。日本では建築家のほとんどが戸建て住宅の設計からキャリアをスタートするのは、それだけ戸建て住宅が多いからです。これは日本特有の社会現象です。これに対して、個人の土地の上に個人の家を持つのは日本人の伝統であり文化だかいわれますが、通りのいい俗説にすぎません。戦前までは貸家が主流だったし、一般市民の都市住宅は長屋でした。戸建て住宅が主流になったのは、明らかに戦後の住宅政策によるもので、アメリカからの外圧もあって、経済政策と絡めて戸建て住宅政策を徹底的に推し進めたからです。戸建て政策に合わせて、土地建物の所有権や相続に関する法体制が整えられたわけですが、共同住宅に対してもそれを適用するとさまざまな矛盾が生じるのは明らかです。
僕の師匠である池辺陽という建築家は社会主義的な思想の持ち主でしたから、当時の共産党の友人と共同で壁を共有した二戸一の共同住宅をつくりました。一方の所有者が亡くなって相続税を払うことになくなりましたが、都心の土地ですから評価額が高くてとても支払えず、やむなく建物全体を壊さざるを得ない結果になりました。建物が一体でも、法律的には個人が別々所有し、相続し、税金を払うというシステムになっているために生じた矛盾です。日本では、こうした所有や税に関する法制と個人の所有感覚とが密接に結びついていると思います。だから、今の田村さんの話のように経済的な側面からシステムが変わると、それに平行して所有の概念も変わると思います。これは明らかに住宅政策の問題です。そういうところで松村先生にがんばってもらわないといけない。コンバージョンの問題は、構法の問題よりも政策の提言の問題かもしれない。根本的にはそこにあるような気がします。

●ゼロをどう覚悟するか――土地代、賃料、固定資産税の関係
松村――関係ないかもしれないのですが、さっきからお話を伺いながら頭に思い浮かべたことがあります。現在、地方都市でコンバージョンをどうやるかということを始めようとしています。それで最近学生を中心にして富山や、金沢、松山、大分など、人口20万〜50万人くらいの都市に行っています。その中心部で今何が起きているかというと、空いているビルを壊して駐車場にするという現象なんです。空いているビルをもっているままだと固定資産税がかかってしまうので、まずビルを壊してしまう。オーナーを代えなくても駐車場をつくるビジネスはあるかたちで成立しています。土地さえあればどこにでも駐車場をつくって集金もやって運営を全部やるビジネスが全国に行きわたっているので、ビルのオーナーはいとも簡単にビルを壊して駐車場にしています。建物が建っていた所がどんどん空き地になって、中心市街地が全部駐車場になっていくという非常に不思議な風景になっているのを見ると、最後は何のために駐車するのだろうと思います。地方都市で話を聞いてみると、空いているビルをコンバージョンするより、駐車場にした方が結局いいという話になってきている。そうなると地方都市は手強いなと思います。東京ではコンバージョンが考えられるけれども、富山じゃ無理かなとかいう壁にぶち当たっていますので、またぜひ来てください(笑)。

田村――建替えで今の話と近いのは、多摩ニュータウンのある団地で某ディベロッパーが建替えを計画していたのですが、それは既存の地権者を高層部分に集約させて、残りを戸建てにするというものでした。この方法が一番土地代が高くとれて、採算が合うというんですが、ちょっと唖然とする話です。多摩ニュータウンは、かなり計画的に戸建ての地区と集合住宅の地区をつくってありますが、その集合住宅地区の建替えプランが半分戸建てになるんです。容積をとってそこに大きいものをつくっても売れるかどうかあやしい。しかも一棟二棟じゃなく、たくさんありますので、そこで建替えて売っていくというのは相当事業リスクが大きいんです。
地方都市の駐車場の話は要するにゼロをどう覚悟するのかという問題です。例えば、土地代がゼロに近い話になった時に、空いているビルですごく安い賃料で新しいビジネスを始める人たちを入れるというやり方があるわけです。これは通常の賃料の利益みたいな話ではない切り口でもっていかないとダメなのかなという感じがしています。最近は、証券化の話が不動産の中でもどんどん進んでいます。この前も映画ファンドをつくった人と話しましたが、実はいろいろなものが証券化できるんです。建築の場合はどうしても賃料の意識がありますけれども、もっと不確かなものでも、可能性のあるものに対してはお金の出し方があるみたいですから、そういうことも含めて考えなければならない。いずれにせよ、建築をやる人間がもう少し金融や法律などの人とコラボレーションするとか、自分で勉強するとか、枠を広げていけばいろいろな知恵が出てくるのではないでしょうか。

●15年経つとタダになる家をどうするか
会場――先日、建築と金融をテーマにしたシンポジウムに参加したのですが、そこにいたパネラーの方はリノベーションを投資の対象としていると言っていました。その方が言うには、建物に価値を見つけてリノベーションした物件に住みたいというような人は、家賃が高くても全然気にしないそうです。それで、建築の分野ではそのような需要にもっと可能性があるはずだとおっしゃるんです。例えば、建築を消費物とするならば、洋服や車などの消費物と同じように、もっとニーズに合わせて商品として細分化できるのではないかというお話でした。建物で商品というとハウスメーカーの住宅みたいなイメージしかなくて選択肢が少ないような気がしますが、今後そういうリノベーションには可能性があるとお考えになりますか? その方々は、儲かるのか儲からないのかということを視野に入れていたのですが、本当に洋服や車と同じような商品として建物が並ぶようになるのかと考えると、私は違和感があるのですが、どうお考えでしょうか?

田村――私の場合は、建物に対する見方はそういう話とは全然違っていまして、新築至上主義を打破するのが極めて大事なテーマだというふうに思っています。なぜ大事なのかというと、環境の話などいろいろありますが、そういうこと以外に国民の資産形成ということからも大事だと考えています。今のマンションは、買った瞬間が一番高い建物で、買ってから鍵を開けて中へ一歩足を踏み入れると1割下がる。そして2、3年住むと2割下がって、10年住むと4割くらい下がるわけです。戸建て住宅の場合は、15年経つと建物がタダになります。これを何とかしないといけない。こういうことでも、これまでみなさんが住宅を買って何とかなってきたのは、その分土地が上がってきたからです。でもこれからはもう期待できません。そうすると建物を買って、あるいは建てて、それをどう住みこなしていくかというなかで、市場価値を高めていく方法がないと我々の世代よりも子供たちの世代が必ず貧しくなるんです。それをどうするかは、我々にとってすごく大きなテーマです。そういう仕事の一環として手がけた築79年という物件は、首都圏でこれより古いものはないみたいですから、これは絶対に壊すべきでないというつもりで始めたプロジェクトでした。もちろん、いろいろなニーズに合ったいろいろな建物を出していくというのもマーケティング的にはあるのでしょうが、それ以前に、古いものであっても、ある一定以上の質があるものは残して、それに価値があるというシナリオをどうやってつくるかということだと思うんです。そういうことをやりつつ、既存のストックの価値がどんどん減っていくわけではないというシナリオをどうやってつくっていくかということが、建築の世界に期待される大事な使命ではないかと思うわけです。
現在の建築の教育に欠けていると思う点がいくつかありますが、一つは法律や税務など世の中の仕組みについてで、これは世の中に出てからでもいいのではないかという気もしていますが、もう一つは、マーケティングの教育です。例えばINAXさんの場合だったら日々メーカーとしてやっていることですが、建築の教育ではそうしたマーケティングは教えていません。私は共立女子大の建築コースの4年生を教えていますが、そこではマーケティングの話も少ししています。やはり、そういうことを教えるとすごく面白がります。3年生の時に一緒に共同で設計した集合住宅をコーポラティブで供給したら、一体いくらくらいになるのか、それはどのくらいの年収のある人が買えるのか、そのコンセプトをどうつくるか、というようなことをやっています。マーケティングの話をしたり、ローンの仕組みを教えたり、ローンの計算をしたりするんです。そうすると自分たちが計画していたものが、実は1億数千万円の価格で年収2000万円以上ないと買えないといったことがわかるわけです。あまり現実のことばかりやってもしょうがないですが、いくつか現実の問題に直面するのは大事だと思っています。あまり実務寄りになりすぎて哲学を教えなくなってしまうのも問題ですが、少しは実務的なことも大学教育で必要かと思います。
例えば、今は住宅ローンで家を買うのが当たり前だとみんな思っていて、頭金10万円で買えるマンションと、頭金が3割必要なマンションだったら、絶対に頭金10万円の方が先に売れるし、その方がいいマンションだと思うわけです。ところがそれは、借入金のレバレッジというリスクとリターンの関係でみると、限りなくハイリスク・ハイリターンの投資をしていることになるわけです。つまり全額借金で何かに投資すれば当然リスクは高い。それがわかっていても、全額ローンで買える住宅を供給しようとしていて、売る方も買う方もそれがいいことだと思っています。これは借入金のリスクとリターンという一番基本的なことを高校生くらいに教えなければいけないことなんですが、教える機会がないんです。私も社会人になって十何年目になってそういうことが書かれている本を読んではじめて知ったわけです。これは高校生くらいから日本人全員に教えなければいけないと思っています。
いずれにしろ、洋服などと同じようになっていくほど多様に建築をやっていくのが大事なのかどうかというと、私はちょっと違うのではないかという気がしています。コーポラティブの中でも自由にできるのがいいのではなくて、ルールがあって制約がある中で、どう意見を調整していくかという成熟したコーポラティブを私自身は目指しているつもりです。

太田――建築をやっていると自邸問題、というのがあって、やはり原広司先生の自邸とか清家清先生の自邸などに憧れるわけです。僕も三十代の後半になって自分はどうするんだろうと考えるんですけれども、どうもピンとこない。一戸建てを建てて車をもって、というようなものではないのではないかと思っていたんですが、お話を聞いて、やはり「定期借地権自邸」みたいなことではないか、とイメージをもつことができました。それは躯体を借りて、そこに自分の住まいを工夫してつくって、それが50年後に評価されれば保存され、次の住まい手に受け継がれていく。そういう設計法が建築の仕事としてあるのではないか。土地は自分のものではないのだと、江戸時代の人と同じような意識で生きていくというのが自分でも腑に落ちると思いました。今日は個人的な将来の指針をいただいたような感じで感謝しております(笑)。
[2005.4.12 INAXにて開催]

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