レクチャーセッション
司会――このリノベーション・フォーラムは当初は10回で終了の予定でしたが、好評につき今後も継続していくことになりました。そういった意味で、今日は記念すべきリスタートの会です。今後は、これまでにまだ取り上げていない行政の問題などについても触れていきたいと思います。今回は、港区の都市計画に携わり、区長を務められた経歴もある建築家の原田敬美先生にお話していただきます。

●まちづくり懇談会の委員から区長へ
原田敬美――今日お集まりの方は、なぜ私が港区長をやったのかという疑問をお持ちになると思いますので、余分な話で恐縮ですが、そのいきさつから始めさせていただきます。
1983年当時、まだ30歳ちょっとだった私は、港区の「まちづくり懇談会」という区長の私的諮問機関に呼ばれました。座長は丹下健三先生で出席者は長老ばかりだったものですから、誰かひとりくらい若いのはいないかということで30代の代表を入れようということになったようです。その頃から私は論文をちょこちょこ書いていたものですから、どなたかの目に留まってお声がかかったのだと思います。そういうことで3年ほど港区とおつきあいをしまして、最終的に区長を仰せつかりました。 役所にいてなるほどなと思ったのですが、一度、役所の委員をやって何となく気に入られてしまうと、次から次へと毎年いろいろな委員を頼まれるわけです。前の区長さんのときには、港区の人口対策の会長とか、住宅政策の会長、都市計画審議会の委員、環境アセスメントの委員、住宅計画の委員、超高層問題の会長などいろいろな委員を務めまして、区長に政策提言を出しておりました。
そうしたときに、たまたま前の区長さんが病気で倒れられて、後継者が問題になりました。ちょうど港区は都市開発の真っ盛りのときで、建築や都市計画に詳しい人間で政治にまったく縁のない人がいいのではないかと区長さんの頭によぎったらしくて、私がその専門で港区で都市計画についていろいろ発言していたり、東京都や建設省の委員をやっているという噂があったらしいことと、政治的に中立であったことと、専門家であったということで、引っ張りだされました。2005年9月の衆議院選挙では、いわゆる「刺客」というかたちでさまざまな方が突然引っ張りだされておりますが、私もまさにそのようなかたちで選挙の一カ月前に頼まれました。私は政治はいやで、選挙で手を振ったり人の前で頭を下げたり握手したり、そんなことは絶対にやらないと思っていました。自分が当事者なので自分で言うのは口はばったいのですが、「なりたい人よりさせたい人」ということで、とにかくやってくれと、民主党や公明党、社民党とかいろいろな政党から依頼があって、これはしょうがないと引き受けたというのがいきさつです。
今日は大きく分けて3点お話をさせていただきます。まず最初に港区での体験についてお話をさせていただきます。2番目は個人の体験になりますが、諸外国の例をお話をさせていただきます。おそらく私は相当外国を歩いたほうだと思っておりますが、その当時はコンバージョンというキーコンセプトは頭になくて、ただとにかく面白そうな建築を求めて取材をして歩いていました。そんななかで、今回松村先生の方からお声をかけていただいて建築学会に参加させていただきました。海外で見てきたコンバージョンは、ただ取材してきただけで、自身で関わった政策というわけではないため、体系立ったお話はできないのですが紹介させていただきます。3番目に政策的展望ということで区政の課題についてお話ししたいと思います。
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