Renovation Report 2006.09.15
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006
「空家プロジェクト」レポート
渡辺ゆうか

イントロダクション
Introduction
「大地の芸術祭」チラシ
2006年7月23日から9月10日まで、長野県に接する新潟県南部越後妻有地域において「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006」(以降、大地の芸術祭)が開催されている。今回で3回目を迎えるこの現代美術の祭典は、東京23区よりも広い760平方キロメートルの会場総面積、46の国と地域のアーティスト、330を超える総作品数といった規模の壮大さが最大の特徴である。この芸術祭は、1994年に新潟県が十日町市、川西町、津南町、中里村、松代町、松之山町の6市町村を対象にした地域づくりとして「ニューにいがた里創プラン」が構想され、これらの広域行政区域の活性化をはかる「越後妻有アートネックレス整備事業」の一環として始動した。

この地域の現状は、日本が抱える問題の縮図とも言えるほどに深刻なものである。1955年までは12万2,761人いた人口は、2000年には約7万7,422人にまで落ち込んだ。 現在圏内人口の4分の1が65歳以上という高齢化と少子化による過疎化、減反政策、さらに震災、豪雪が相次ぎ地域は疲弊している。しかしながら、他の地域と絶対的に異なるのは、北川フラム氏が総合ディレクターをつとめる現代美術を媒体にした大地の芸術祭が3年に一度開催されていることだ。美術を介して閉鎖的な集落にさまざまな人々が入り込み、さらに建築界と協働しながらあらたな変貌を遂げている。

こうした美術、建築それぞれの特性が発揮されているプロジェクトを今回の「空家プロジェクト」を中心に報告したい。

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006
会期=2006年7月23日(日)〜9月10日(日)50日間
会場=越後妻有2市町760キロ平方メートル
新潟県十日町市
(2005年4月に十日町市・川西町・中里村・松代町・松之山町が合併)、津南町
主催=大地の芸術祭実行委員会
総合ディレクター=北川フラム
アートアドバイザー=トム・フィンケルパール(アメリカ)、ホウ・ハンルゥ(中国/フランス)、ヤン・チェル・リー(韓国)、中原佑介(日本)、オル・オギュイベ(ナイジェリア)、ジェームズ・パットナム(イギリス)、ウルリッヒ・シュナイダー(ドイツ)
ディレクター=Fの会(いけばな)、入澤美時(陶芸)、入澤ユカ(アート)、田中文男(空家プロジェクト)
URL=http://www.echigo-tsumari.jp/
展示カタログ好評発売中
「空家プロジェクト−生き続ける民家−」
1冊900円、送料1冊100円
問合せ(購入先)まつだい「農舞台」
e-mail=info@noubutai.com

プロセス
Process
2000年にはじまった第1回大地の芸術祭は、6市町村をまたいだ大規模なスケールが日本のみならず世界の注目を浴びた。世界32カ国、140人以上のアーティストが作品を発表し、この地域に16万人が来場した。里山の自然をキャンバスに野外彫刻的な作品が多く見られた。なかでもイリヤ&エミリア・カバコフの《棚田》は、伝統的な農作業とその背景にある情緒を棚田で展開し第1回の傾向を特徴づける代表的な作品といえる。2003年第2回を迎えた頃には、手塚貴晴+由比の設計による《越後松之山「森の学校」キョロロ》、MVRDVが《まつだい雪国農耕文化センター「農舞台」》、カサグランデ&リンターラ建築事務所による《ポチョムキン》などの公共施設としての建築作品が目立つようになる。クリスチャン・ボルタンスキーは、廃校に残る記憶を作品化するといった建築的要素が強い作風が見られた。そして2006年第3回、最大の特徴は集落に多く点在する空家を使用した「空家プロジェクト」だ。大地の芸術祭自体が回を追うごとに、地域との距離を狭め、より生活空間に入り込んだところで作品が展開され、建築的操作もそれに連動したものになっている。
左:イリヤ&エミリア・カバコフ《棚田》(2000)
中:手塚貴晴+由比《越後松之山「森の学校」キョロロ》(2003)
右:カサグランデ&リンターラ建築事務所《ポチョムキン》(2003)
筆者撮影

「空家プロジェクト」概要
Project
第2回が終了した時点で、第3回は集落に多く残る空家を使用する方向性が決まっていた。その矢先、2004年10月に中越地震が発生する。さらにその冬の記録的な豪雪という打撃を受け劣化の進んだ空家の荒廃に拍車をかけた。プロジェクトは一時中断を余儀なくされたものの、「大地のお手伝い」として復興作業を積極的に行なった。状況が落ち着いた2005年春、本格的に活動が再始動した。このプロジェクトの中心人物は、民家や社寺の修復保存などを多く手がけ、木造建築に深い知識を持つ棟梁・田中文男氏、木造建築のデザインと技術開発を研究する建築家・安藤邦廣氏、中村祥二氏、今村創平氏、南泰裕氏、山本想太郎氏の3人の建築家による設計ユニット・プロスペクター、そして、幅広い設計活動を展開するみかんぐみと横浜で歴史的建造物などを舞台に文化芸術創造事業を進めているBankART1929が妻有でタッグを組んだプロジェクトチームで構成された。
左:「空家プロジェクト」展示会場
会場=まつだい「農舞台」農舞台ギャラリー/会期=2006年7月22日〜9月24日/監修=安藤邦廣/展示ディレクション=南泰裕
右:ギャラリー内、展示風景
筆者撮影

「空家プロジェクト」プロセス
Process
空家プロジェクトは、下記のように進められた。
1)空家探し──1集落に平均1.5〜2軒の空家があるとされ、全体集落数約200  から換算するとその数は、300軒以上にものぼる
2)建物調査──紹介された空家の痛みはひどく、そのなかから棟梁・田中氏が耐用年数・予算を加味し選定する
3)契約交渉──空家の持ち主のほとんどが地域外に移り住んでいる。ひとつの空家に対しても、家を取り囲む多くの親族との交渉をしなければならない
4)アーティスト視察──交渉が成立した空家とアーティストのお見合いが行なわれる。民家から想起されコミュニケーションのシンボルになるような作品が提案される
5)集落説明会──アーティスト決定後、集落で作品説明と承諾、多くの住民が制作に協働できるように呼びかける。反応は、集落によってじつにさまざまであった
6)設計──アーティストの提案を受けて、建築家が民家にあった空間性を保持しながら現実可能なものにする
7)片付け──空家に残された膨大な家財道具を処理するのに、大地の芸術祭を支える「こへび隊」が大活躍する
8)工事──地元の材料、職人、工務店を用いた地域性にこだわる。2006年5月から工事が開始され、3カ月のあいだに65軒もの改修事業を建築関係者のみならずサポートスタッフの「こへび隊」も総動員され進められた
9)完成──会期終了後の継続的活動も視野にいれ、建物のオーナーを募集する。セミナーハウス、別荘、ギャラリーなど用途転用が考えられる。

クローズアップ
Close-up
興味深い事例が数多くあるなかで、安藤邦廣氏の《うぶすなの家》は、土間という空間性、豪雪地帯が形成した民家の特徴である茅葺き屋根に屋根裏、いろり、かまどをあらたに作り、現代陶芸のアーティストの作品により彩られ家全体がお茶をもてなす設えとして成立している。プロスペクターは、旧公民館、旧小海邸、旧山本邸、旧三ツ山分校、旧東川小学校など参加した建築家のなかでも多くの空家改修を行なっている。手がけた建物には、赤い目印が置かれている。同時にプロジェクトの一環として「コンタクト──足湯プロジェクト」を発表している。中村祥二氏は、儀明劇場「倉」において、その立地の魅力を最大限に活かした空へと伸びる舞台を作り上げた。基本設計をキャロル・マンク氏、監修を中村氏が行なった《とうふや》は日本大学芸術学部彫刻コース有志により、空家内部を1年間彫り続けまさに「脱皮する家」として見事に作品化された。ちなみに、この家のオーナーはすでに決定している。
《旧三ツ山分校》プロスペクターが手がけた赤い目印を見る事ができる
左から
《うぶすなの家》=山間という立地条件にも関わらず、多くの来場者でにぎわう
《うぶすなの家》内部=作品を眺めるだけではなく地元の農家の方が提供する料理に舌鼓を打つ事ができる。使用されている食器もすべて作家の手によるもの
旧三ツ山分校内部=山口啓介《光の庭、三ツ山5つの空気柱》
栗田宏一《ソイル・ライブラリープロジェクト/越後》
左から
行武浩美《再構築》
《再構築》内観
日本大学芸術学部彫刻コース有志《脱皮する家》
プロスペクター《コンタクト──足湯プロジェクト》
以上、すべて筆者撮影

BankART妻有──桐山の家
BankART TSUMARI
そして、空家プロジェクトのなかでもみかんぐみ+BankART1929が手がけるBankART妻有は、ほかの空家プロジェクトとは異なり、他県との連携を計りながら集落の中で展開していた。この事例について少し、掘り下げたい。

BankART妻有は、十日町市山間奥に位置する桐山集落にある。45年前に移築された一般的な住宅をごく一般的に改修する事業として始まった。今年5月に現地視察を行ない、候補地となる場所を回った。現在の場所が決定し、6月初旬には設計に入り、外部、土間水廻り部分をみかんぐみ、建物内部は神奈川大学曽我部研究室が設計した。施工期間は、7月14日から8月10日という短期間に行なわれた。水回りやサッシュなどの施行は業者に委託したが、それ以外の施行は、みかんぐみ、曽我部研究室、BankART1929、東北芸工大学有志、新潟大学有志、千葉大学大学院有志、などその他参加者を含め述べ23人によるセルフビルドで行なわれた。建築やデザインを学ぶ学生にとって、自分たちの手で空間を作り上げることが、学生自身にどんな変化を生むという質問に対しみかんぐみ・曽我部氏は、「デザインが(ほんとうに)空間を変えるという実体験が、きっと、それぞれの学生たちがデザインをするときの新しい視点を生んだと思います。デザインに対する思い入れと集中力も現われてきた」とはなす。
左:改修前 越後妻有地方でよく見られる住宅に隣接する池には、以前鯉が飼育されていた
中:大量の廃材は、建材・燃料などに再利用される
右:作業風景
左:曽我部研究室の学生が作成した看板
中:開かれた土間 外部の風呂場と繋がるデッキ、奥にはシャワールームが設置され大きな浴室とも呼べる
右:デッキでお風呂のはしごができる構成 中央:食卓風呂 右:山頂風呂 奥:足湯
左:1階屋根裏までの吹き抜け空間、奥には壁一面の黒板がみえる
中:屋根裏部屋
右:平面図【拡大
写真・図すべて提供=みかんぐみ
施工期間中の10日間、BankART妻有に宿泊しながら受講するというBankART School講座が行なわれた。空間が持つ「境界」をテーマにみかんぐみが講師をつとめ、受講生が出したコンセプチュアルな案をもとに実際に空間を制作し、体験できるものになっていた。現在、BankART1929が主体となり100人のアーティストがこの家にあった生活用品を制作するプロジェクトが計画中だ。そして横浜と妻有を結ぶ事業として両県の親子が参加する親子合宿、東京で活動するこども造形教室・深沢アート研究所のワークショップなども行なわれた。今回の大地の芸術祭終了後も、都心部と地域を結びながら次の大地の芸術祭を目指し継続していく予定だ。
左=作品番号217《BankART妻有》
右=BankART妻有 夜の風景
左=作家・丸山順子氏の作品とともに朝を迎える宿泊者
中・右=会期中行なわれたワークショップ風景
左=作家・松本秋則氏によって制作されたドアベル
中=取り付けられたばかりのドアベルを鳴らす子供達
右=ワークショップ参加者
以上、すべて筆者撮影

これから
Conclusion
「10年という時を経て、里山、棚田からやっと家にまで辿り着いた」と総合ディレクターの北川フラム氏は述べている。越後妻有を縁取るようにこのプロジェクトは配置されてきた。大地の芸術祭は、美術が持つ場に入り込む力、マイノリティーに焦点を当てる力、そしてそこから開拓され広がる関係性や可能性を追求するものといえる。「空家プロジェクト」はそのひとつの媒体に過ぎないが、強い空間性で人を引きつけてやまない。グローバルな協働のなかで、ローカルな視点を具現化し未来に繋げていくことを「空家プロジェクト」から見る事ができた。
右:コースに組み込まれた、棚田の風景
筆者撮影
左:空家プロジェクトマップ【拡大

HOME