Renovation Report 2006.12.29
「桐生再演──街における試み」レポート
藤岡大学(建築家)

イントロダクション
Introduction
はじめて桐生の街を訪れる。休日だというのに人通りの寂しい商店街を歩くのが退屈になり、適当な横道にそれてなおも歩き続ける。目の前の風景を注意深く見つめ直し、ふと目をそらすと、奇妙なギザギザの屋根をもった工場らしき建物が、その退屈な風景のあちこちにまぎれて点在していることに気づく──。
市内にいまなお散在する230余りのノコギリ屋根工場。しかし、その多くからはすでに織物機械の稼動する音は聞こえてはこない。かつて栄えた織物の街・桐生には、1970年代以降の産業構造の変化にともない、織物工場としての役割は終えてしまい、あるものは織物倉庫というかたちでかろうじて生き延び、またあるものは機械の休止したままの状態でひっそりと放置されているものもある。現在の街の静けさは、ノコギリ屋根工場群の「休演」に一因があるにちがいない。
その桐生の「休演」中の工場たちが、街のヨソ者によって開示され、一瞬「生」を吹き返し、再び何かを演じ始める季節が毎年訪れる。「桐生再演──街における試み」と題された美術家たちの手による「再演」の試みがそれである。
1994年に始まり、2006年ですでに12回の「再演」が行なわれてきた。2006年の「桐生再演12」は、10月1日から11月5日までの会期。市内に散在するノコギリ屋根工場跡を中心とした会場で、美術家たちによる作品の制作・展示が行なわれた。今回は通常の「桐生再演」に加え、「わたらせ渓谷鐵道アートプロジェクト」が同時開催され、その「場」を拡大させている。
ここでは、これまでの12回の「再演」を通して、掘り起こされ育てられた、街の再生へのインセンティブを振り返り、そのプロセスをレポートする。

場=サイト
site
桐生再演の運営組織は、「再演」参加作家らを中心に組織された「アブダクティブ・アート・コラボレーション(ab-c)」という任意団体である。1994年の「再演1」以来、東京芸術大学油画科の学生や卒業生の作家を中心として、毎年少しずつ参加者の顔ぶれを変えつつ縁を広げながらゆるやかに団体が形作られている。組織の性質は、強い統括者によってトップダウンで決められるというより、参加作家各人の自主的な連携と共感に基づき、ゆるやかに自己組成されている。
2006年の「桐生再演12」における参加者は22名。全員桐生市非在住の作家たちであって、「再演」参加にあたって暫定的、短期的に街の滞在者となって、現場での制作にかかわることになる。
作家たちはあらかじめテーマや展示場所を与えられはしない。作家自ら街を散策・探索しつつ、眼前の桐生の街中にすでにあるものたちを注意深く見つめ直し、「気づき」が自らに生まれるのを待つ。自らの手を加えることによってその「場」が、桐生を生きる者たち(=観客)に、そこに眠る何かを喚起させ、一瞬の「生」を体験させるに足る「場」に変貌しうる予感。作家たちは、自らが見出した場=サイトの質を変貌させるために、現実の「場」の所有者や、「場」に隣接する者たちと、実現に向けた「対話」を開始するのである。自らの「気づき」が、そうした者たちと共有されるまで。
これまでの桐生再演で、作家たちに見出されたサイトは多岐にわたる。街に数多く眠るノコギリ屋根工場跡は、もっとも見出しやすい街のアイコンであるが、それにとどまらず、2006年を例にとると、観音寺日限地蔵尊、旧・菱町消防団第二分團本部、天狗ビル3Fが、サイトとして見出されている。12回の開催のたび、異なる作家によって、異なるサイトが見出されており、これまでの12年間で見出されたサイトは40カ所を超える。そのうち、ノコギリ屋根工場跡のサイトは8棟ある。
上:「桐生再演」の拠点・桐生森芳工場
下:板の間の居室部とモルタル仕上げのアトリエに分割されている森芳工場内部
筆者撮影

ノコギリ屋根工場のパフォーマンス
site performance
2006年の「桐生再演12」でサイトとなったノコギリ屋根工場は、桐生森芳工場、旧・東洋紡織工場、山治織物の3棟である。桐生再演で見出されたサイトにおける「場のパフォーマンス」のほとんどが、その性格上会期の「終演」とともに作品としての役割を終える。場の変容はあくまで暫定的なものでしかない。しかし、森芳工場が、桐生再演12年間のプロセスのなかで、暫定的なパフォーマンスのサイトから、桐生再演参加作家たちが集い、滞在し、制作する共同アトリエとして、またその活動を外に開くための窓口としての基幹施設へと生まれ変わったことは、その後の桐生再演の運営にとってだけでなく、ノコギリ屋根工場跡の再生を契機とした街の再生へのインセンティブとして大きな役割を担うことになる。
森芳工場がその姿を大きく変える契機となったのは、2002年「桐生再演8」の期間外で参加した作家、赤池孝彦によるプロジェクトである。1994年の初回の「桐生再演」以来、森芳工場は、作家たちの暫定的な宿泊施設として、そして主要なパフォーマンスの場としての役割を演じ続けてきた。そもそも森芳工場(森山芳平工場)は、昭和初期に建造された木造の織物工場であったが、1970(昭和45)年の工場の廃業以来、朽ち果てるままに機械もろとも放置されていた。
左上:「桐生再演8」以前の手の加えられていない森芳工場
右上:「桐生再演8」赤池孝彦により作品化された森芳工場
左下:同、内部
提供:赤池孝彦
赤池は、この疲弊した工場建物の構造上の問題箇所を最低限修復したうえで、眼前のノコギリ屋根工場外観のすべてを学生らとともに黒色ペイントで塗りこめたのだった。そしてノコギリ屋根に特徴的な北側の採光がふさがれた。ただひとつの採光窓を除いて。「ダークサイド・オブ・イメージ」と名づけられたそのプロジェクトには、赤池による次のような言葉が添えられている。

──織物産業で栄華を誇った桐生の街並みは、その面影をかき消すように変貌しています。
その当時から変わらないたった一つのことをお見せします。

たったひとつのこととは、つまり影絵と化したノコギリ屋根工場に射す一筋の光であったのである。工場のすべてを使いきった渾身のパフォーマンスは、工場の解体へ傾きかけていた工場所有者の心を大きく動かすことになる。作家による「気づき」が所有者と共有されたのである。このことが、翌2003年の「桐生再演9 森芳工場リノベーション・プロジェクト」へつながっていく。
森芳工場の恒久的な使用にむけての全面的な改修工事は、2003年7月の工場の解体工事からはじめられる。ノコギリ屋根の骨格は残しつつ既存の屋根や内外壁をすべて取り除き、建物を一旦骨組みだけ残した状態に戻した後、9月からの工事ではその古い骨格の基礎にセメントが流され、サイディングが打ち付けられ、新しい皮膚が与えられていく。赤池をはじめとして桐生再演参加作家を中心メンバーとしたプロジェクトチームは改修案の設計だけでなく解体から再構築にいたる現場工事のすべての過程を各専門家とのリレー方式(コンストラクション・マネージメント)の協働のもとで自らの知恵と肉体を使って行っていった。プロジェクトはその過程において桐生を生きる者との多く濃密な「対話」をうみだすとともに、数多くの協力者にインセンティブを与えることとなった。翌年2月の工事終了までにのべ500人をこえる作業協力者を得ることになったのである。そして完成された工場で3月に行われた作業のドキュメント展を含めて、森芳工場の再生に向けたこれらすべてのパフォーマンスが「桐生再演9」を位置づけたのだった。
「桐生再演9」改修中の森芳工場
提供:赤池孝彦

サスティナブルな再生へ
sustainable renovation
参加作家たちのレジデンス施設として生まれ変わった「桐生森芳工場」は、2006年の「桐生再演12」においては、市内に散在する「再演」各サイトへ訪問者を誘うインフォメーションセンターの役割を演じながら、裏庭の木々の合間に作家が仕掛けたインスタレーションの場によって改修前の面影がわずかに示されていた。
森芳工場の「再演」以降も、眠っていたノコギリ屋根工場が、少しずつではあるが、新たな再生劇を予感させつつ「再演」プロジェクトとして見出されていった。「桐生再演12」において初めて「蔵出し」された工場が「山治織物」である。明治期の創業であるが、大正期、昭和初期、さらに昭和30年、33年と、なんと4回の増棟によって各世代のノコギリ屋根が接合されており、歴史が重ねられた木造のノコギリ屋根工場であった。1987(昭和62)年に工場は廃業されたものの、19年間その内部においても操業当時の面影をそのまま残しつつ寝かされてきた工場である。先代から工場を引き継ぎ、ノコギリ屋根工場への愛情の深い所有者は、その朽ちていくばかりの工場の扱いに途方にくれることになる。そんな所有者に再生の可能性を気づかせたのが、毎年近くで行われてきた桐生再演のプロジェクトたちであった。そして所有者自らが、所有するノコギリ屋根工場の桐生再演への参画を思い立つ。ここに所有者から作家たちへ実現に向けた「対話」が開始されたのである。
左:「桐生再演12」森芳工場。インフォメーションセンターになった内部アトリエ
右:同、裏庭のインスタレーション
筆者撮影
左:「桐生再演12」旧・東洋紡織工場。年代の異なる木造と木骨造石壁の棟が連結している
右:同、内部。久保田邦仁によるインスタレーション
筆者撮影
左:「桐生再演12」山治織物
右:同、内部
筆者撮影
西村雄輔をはじめとした作家たちは、積もった塵と不要物を工場から取り去ったうえで、その中の一台の機械を永い眠りから一瞬目覚めさせることだけを目論む。「再演」期間中、所有者自らが機械の起動を指示しつつ、プロジェクトのマスターとして工場に立つ。見るものは朽ち果てる寸前の工場内に立ち尽くし、激しい轟き音を発しながら稼動する織物機械をただただ眺めることになるのである。
「山治織物」が会期終了後どういう再生劇を演じるのかどうかはわからない。しかし、眠りにつく数々のサイトを美術家たちが街中から見出し、「対話」を生み、「生」を喚起させてきた桐生再演12年間の実りとして、今度は逆に桐生に生きる者が自ら作家たちとの「対話」を求め、「再生」を夢見ること。ここには、疲弊しつつも再生を繰り返すことによって、本来桐生という「場」が持っていたはずの生命力の息が吹き返しつつある予感がするのである。

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