Renovation Report 2007.5.22
「ディア・ビーコン」レポート
小笠原伸樹(イェール大学大学院修士課程)

イントロダクション
Introduction
ディア・ビーコンはアメリカ合衆国のニューヨークから車か電車で約1時間半、95キロメートル北に位置する、現代美術館である。2003年5月18日から一般に公開されている。施設は、以前工場だった建物の改修であり、ただ転用するだけではなく、元からあった特徴を新しい美術館のあり方を提案する契機として活用している。今回のレポートでは、工場を改修して美術館に利用することの目的、運営、具体的な改修方法を紹介したい。

目的
Purpose
ディア・ビーコンは、現代美術作品からの場所性への要求を満たしつつ、同時に、作品を一カ所で体験できるような美術館として構想された。
展示対象となっている現代美術は、作品の一部となりうる特定の場所、長期的または恒久的な展示期間、そして作品を独立して体験できるような環境を求めるものが多い。これらの制作側からの要求は、ともすれば、安価で辺鄙な土地への作品の分散を招き、現地への気軽で頻繁な訪問を難しくしてしまうという、芸術支援運営側からの振興の意図とは相反する矛盾を抱えていた。
だからといって、大都市では展示場所も限られてしまう。実際、1985年からディア・ビーコンに先立ち公開されていたニューヨークのディア・チェルシーでは、半年ごとに一人か二人という少数の美術作品の展示にとどまってきた。
この現代美術の制作と展示の葛藤を解決すべく、社会的、歴史的に培われた特殊な場所性を持ちながら、一度の訪問で数多くの作品を鑑賞することができるような美術館が求められていた。

展示・活動内容
Activity
常設展示作品は、1960年代以降の現代美術を中心に構成されている。ベルント&ヒラ・ベッヒャー、ヨーゼフ・ボイス、ルイーズ・ブルジョワ、ジョン・チェンバレン、ハンネ・ダルボーヴェン、ウォルター・デ・マリア、ダン・フレヴィン、マイケル・ハイザー、ロバート・アーウィン、ドナルド・ジャッド、河原温、イミ・クネーベル、ソル・ルウィット、アグネス・マーティン、ブルース・ナウマン、マックス・ニューハウス、ブリンキー・パレルモ、ゲルハルト・リヒター、ロバート・ライマン、フレッド・サンドバック、リチャード・セラ、ロバート・スミッソン、アンディ・ウォーホル、ローレンス・ウェイナー、といった作家による作品が、それぞれ独立した展示場所に、作者との直接相談、もしくは原案に忠実に展示されている。
そのほかにも企画展、ガイド・ツアー、キュレーターや歴史家、文筆家によるギャラリー・トーク、関連する芸術家が展示されている芸術家について語るアーティスト・オン・アーティスト、文筆家による小説や詩の朗読会、パフォーマンス、映画の上映、小中高生や教師を対象にした教育や学生の実務研修などが行なわれている。

運営団体、資金
Operation+Fund
美術館の立案、運営は1974年に設立されたディア芸術財団によって行なわれている。この財団は設立当初より、非営利団体として、60年以降の芸術作品の収集、さらには、それまでの美術館では展示できないような敷地固有な美術作品の依頼、製作支援、その長期展示や保全を行なっている。財団の資金は、連邦、州、地方自治体や、基金や会社、ディア付属の管財人、芸術審議会の会員らによって支えられている。とくにディア・ビーコンの設立にあたっては、視覚芸術、文学、文化自由賞などの活動を行なっているラナン基金と、建設当時の当財団会長であったレッジオ夫妻の個人的な貢献によるところが大きい。

改修
Repair
○既存状況と改修の方針
施設は、1929年に建設されたビスケット会社ナビスコの包装紙印刷工場を改修したものである。この工場は、99年、所有者であったインターナショナル・ペーパーによってディアに寄付された。地下部分を含む一階建ての作業場の大部分は展示室にあてられ、隣接する入り口付近の小さな既存建物にはカフェと書店が入っている。
既存工場はニューヨーク州公園余暇歴史保存事務所により国定史跡に登録されていたため、主要な東と西のファサードと、内部の基本的な仕様は変更することができなかった。この条件を逆手にとって、現状に対する付加物を最小限に絞ることで建設費を抑えつつ、既存部分の特徴を展示に生かす方向で改修が進められた。
この方針に沿って、細かい作業のために設計されていたのこぎり型屋根から注ぐ均一で豊富な自然光や、約5メートルの比較的高い天井、広い柱間、カエデの床といった特徴は展示空間にそのまま反映されている。

○設計者
工場部分に加え駐車場と外構を改修したのは、芸術家ロバート・アーウィンと建築事務所のオープン・オフィスである。ロバート・アーウィンは、1980年初頭にロサンゼルス現代美術館の委員として、プログラムを計画、磯崎新に設計を依頼するなど、美術館設立に関わった経歴を持つ。また彼自身も芸術家として、既存建築物やそこでの光と一体にとなって働くような新しい要素を考案し、場所の知覚を一変させてしまう作品を作り続けている。ディア・ビーコンとして改修される既存工場の光への興味もまた、彼の状況への興味と重なっている。
約2年間にわたった調査建設期間中、アーウィンは既存の状況を現場で読み、現場で改修の結果を確かめることにこだわった。最初の数カ月の間に、改修される工場とその周囲の地形の空間的な特徴を調査し、さらにその後の1年間は、現場でしか見つけることができない問題や成果を確かめながら、改修の隅々まで目を行きわたらせるため、西海岸サン・ディエゴの自宅から、美術館のある東海岸のハドソン渓谷に引っ越してきて改修作業に携わった。
左:内部展示室 右:外周展示室
○照明
既存の工場22,000平方メートルにわたる展示室内部の照明は、ほぼ自然採光だけでまかなわれている。採光量と耐久性を上げるため、新しく白色のPVC(ポリ塩化ビニル)が屋根にかぶせられた。これによって、屋根表面は保護され、屋根面での日光の反射量は大きくなるため、より多くの光をとりいれることができる。

○新設壁と既存壁
展示室は建物の中での位置と光の状態によって、内部展示室、外周展示室、そして、地下展示室に分けられる。均一な天井間接光のみを取り入れる内部展示室には光量に敏感な絵画がおかれる。天井光に加え、時間とともにうつろう側面直射光が入ってくる外周展示室には彫刻がおかれる。薄暗い地下展示室には、外部光を遮断する必要のある作品が設置される。
壁面は、美術館の空間構造が新旧の素材の対比によって対照的に扱われている。平面を一作品一作家に分節する新設の白い内部壁と、分節した部分を大きく囲う既存の赤茶の煉瓦壁である。既存の壁面には色が塗られていたが、素材の対比を強調するため、表面のペンキははがされた。
新設される内部壁でも、展示室によって、柱との関係に変化がつけられている。内部壁のみによって囲まれる、絵画のための内部展示室に対しては、壁面が柱を隠す平坦な仕上げになっているのに対し、外部煉瓦壁に対して囲まれる、外周展示室では、壁は柱をむき出すように設置され、彫刻のおかれる空間に連続する柱構造によるリズムとスケール感が与えられている。
展示室窓
○開口部
外壁部のガラスは入れ替えられており、曇りガラスの入ったフレームのなかに、透明ガラスを部分的に入れることで、外への意識を満たしつつも外の風景が内部の展示を圧倒するのを防いでいる。
美術館への用途変更にともない、20カ所以上の非常口が加えられたが、それを比較的暗い、北側と南側の採光口として利用するとともに、扉を通して入ってくる光が、広大な内部を歩く際の目印になるように配置され、一方通行でなく散策的な鑑賞のできる展示室相互の関係を強めている。
左:駐車場から前庭、
入り口パビリオンを望む
右:入り口パビリオンと
展示室の接続
○新設入り口パビリオン
風合いの違う新しい煉瓦で仕上げられた、数少ない新築部分である入り口パビリオンは、展示室になっている既存の建物と、前庭を結ぶための最小限のものにとどめられている。対称的な前庭の中央部を通る軸線上に設置された入り口パビリオンは、ギャラリーへと続く接続部では外部から続く対称的な一本の軸線を展示室壁の小口を正面に持ってくることで二分し、選択的な順路がとれるようになっている。展示室への入り口は、入り口建物は外の光と展示室との中間地点として、照明は暗く抑えられ、天井高も展示室に比べて低く設定され、外から展示室へと通過する体験が強調されている。

○前庭と駐車場
美術館正面の庭園には、四季によって変化の大きい、花の咲く木が植えられ、草の繁茂可能なタイルが使われている。庭園手前の駐車場にも2レーンおきに同様の樹木が植えられ、庭園の一部として扱われている。

これから
Conclusion
ディア・ビーコンの改修で興味を引かれたのは、特に次の二つの点においてである。
ひとつは、建築の意匠的な効果において。改修された建物の均一な光によって、内部全体が陰なく照らされ、形式性をもちつつも、軸線が巧妙に隠された、背景としての平滑な空間が実現している。それが、既存環境を利用し、新規建設を最小限にとどめる発見的な手法でなされていることも興味深い。
もうひとつは美術館制度への回答という社会的な観点において。約80年前に必要性能を満たすために容赦なく設計された工場空間が、現代美術作品の展示という別の社会機能と出会ったときに、いままでの展示空間の考え方を拡張していく契機として働いたことである。
一つひとつの既存の環境を丹念に読み込み、展示される作品や鑑賞者への効果を実現段階まで検討していった設計者側の直接的な貢献がある一方で、いままでの美術館と作品との関係に疑念を示し、作品と展示場所を不可分のものとする価値観を提示してきた芸術家の視点が、間接的に設計の原動力となっているともいえる。また、既存の美術館と作品との関係を超えていこうとする芸術家の意思を尊重しつつも、それらをあくまで集約的に管理し、多くの人に見てもらうための新しい運営と振興のシステムを確立しようとする財団側の意志と実際の運営支援も欠かせない。設計、内容製作、管理振興という三者の思惑が拮抗しあってこのディア・ビーコンは緊張感のある美術館になっているのである。
この美術館の持っている躍動感が失われるとすれば、それは、作品、建築、運営のどこかが権威化し、ほかの分野を抑圧し始めたときだろう。現在行なわれている多くの仮設展や、芸術家、専門家を招いたイベントは、とどまるところなく芸術のあり方を模索し続けようとしている美術館の運営姿勢の現われではないか。
■参考文献、ウェブサイト ■写真提供

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