Renovation Interview 2007.11.22
《孤風院》からの風景──オーセンティシティへのオルタナティヴ
[座談会]髙木淳二×木島千嘉×倉方俊輔 進行:新堀学
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「真面目な」保存との距離感──使い続ける保存のあり方
新堀 ここでの活動には、保っていくことを目的とした後ろ向きの保存修復ではないものを生み出すエネルギーがあるように感じています。よそから来て興味深く感じるのはそこです。この「生きている感じ」はなにによってもたらされているのか。活動の中心にいる学生が若いからなのか。バックアップをする事務局が仕掛けたものなのか。もしかするとこの建物自体が持っているものなのか。やはり木島先生が撒いた種に仕掛けがあるのでしょうか。
髙木 みんなが動いてくれるにはそれなりに考えたり工夫したりしますが、もっと根源的ななにかがあって、それは、「木島さんがここに持ってきて住んだ」ということではないでしょうか。人それぞれに解釈はあるだろうけれども、私の想像では、木島さんは建築というのはずっと存在し続けることに意義があると考えていたと思います。自ら講堂を住居に変えたように、建築物にも輪廻転生があると思っていたのではないでしょうか。木島さんにとってそれは当たり前だったと思います。仏教ではないけれども、輪廻転生して生まれ変わるもの、そうした考えがこの活動のエネルギーとなっているような気がします。
木島 まずここはやはり普通の保存とはいえないと思っています。もとは熊本大学の講堂でしたからそこでの思い出をもつ人もいるはずですが、構内から移動した時点で、構内の風景は変わってしまったわけですし、講堂の方も場所と一体化した思い出からは外れてしまっている。昔の木造の建物ということで、記憶の継承だとかそういう文脈によって共有されるものもあるかもしれないけれど、中央の身廊は掘り下げてしまっているし、裏にはプレハブの温室みたいなのをくっつけていますし、カタチをそのままホルマリン漬けにするような「真面目な」保存とは言えなくなっています。そうするとここでは、何を保存したことになるのか、と今回改めて考えてみると、結局、それは「モノ」といえるのかもしれません。記憶を継承する「装置」といったところでしょうか。父が遺したものとしては「建物の残し方」だといえそうな気がします。「孤風院の会」がここでやっていることは、「新たな残し方」とか引き継ぎ方ということかもしれません。
髙木 個人的には、残すことより変身の仕方を考えています。その変身の仕方を便宜的に「残す」と言っています。事務局としても残すというのはまったくありませんし、そもそも残そうとして残るものなどありません。命あるものは変身し続けるわけで、そもそも保存という概念自体がありえないんですよ。
髙木淳二氏
木島 いわゆる「保存」のイメージは、メンテナンスをして維持をしていくことですよね。残すというのも、新品に近い状態を保つというのが一般的な概念です。そうすると、それができない場合は残せないということになる。つまり、残すということの根本には、新築の状態が一番いいという考えがあるような気がします。ところが、ここでは戻すとか保つとかそういう拘束がないので自由な気分になりやすい。学生達も「あれやってもいいのかな」と常識にとらわれずにいじりやすいでしょうし、こういう事例が、現状維持を目指すことが難しいと考えている人にとっても、敷居が低くなるきっかけになるのではないでしょうか。建物はもっといじり変えていいんだという風に。
倉方俊輔 《孤風院》に来て思い出したのは、1960-70年代の「洋風建築」保存のことです。高度成長期から、それまではアカデミックに顧みられることがなかった擬洋風建築や明治建築の名品が重要文化財に指定されて、一部は保存されていきます。いま「洋風建築保存」と言ってしまうと、デザイン思想の先端とは別の、安定した作法と捉えられるわけですが、そうではなかった時代があって、その最後が1970年代だったように思います。木島さんは熊本に来て、裁判所の保存に関わって、熊本大学の講堂の部材を引き受けるわけですね。そうして《孤風院》をつくる。それはすでに確立しつつあった「洋風建築保存」のアンチテーゼだったのではないかというのが、僕の見立てです。もちろん「洋風建築保存」の王道というのは素晴らしいことで、僕もかつて明治期に建設されて残されることになった地方の町役場や学校講堂などを見て回って、日本近代建築史を学習させてもらったわけですが、正直、ある種の哀しみを覚えることも少なくありません。きれいに材も入れ替えて、建物が形としてはそこにある。しかし、すでに当初の用途を失っていて、新しい活気が生まれているわけでもない。なにか困ったように、「郷土館」なんて名前で残されている。もちろん、資料的な価値は高いし、残されるには多くの人の努力があったわけですが、これが生きた建築なのかという気もしてきます。木島千嘉さんの言われた「《孤風院》は『真面目な』保存ではない」「戻すとか保つとかそういう拘束がない」というのは、本当にその通りだと思います。少し言い換えると、ここには根がありません。残された時に場所も平面も変えている。だからこれは「熊本大学講堂」ではなくて「《孤風院》」なのですから、根拠となるゼロ地点がもともとありません。あるとしたら、それは変化させたということで、したがって、ある種の変化が、《孤風院》のオーセンティシティということになるのでしょう。《孤風院》が「洋風建築保存」のアンチテーゼだと言ったのは、単なる特異例ではなくて、体制化したことで逆に見えなくなってしまった、「保存」がそもそも持っていた価値の、ある部分に気付かせてくれるからです。確かに思想としてのデザインだと思います。それがいまも継承され、保存されていることに感銘を受けます。»

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