Renovation Interview 2007.11.22
《孤風院》からの風景──オーセンティシティへのオルタナティヴ
インタビュー]田中智之 聞き手:新堀学
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よく分からない場所にて
新堀学 《孤風院》にはじめて来たときの感想はいかがでしたか。
田中智之 妄想を膨らませていると大抵、実物を見たときはこんなものかと思うことが多いのですが、ここではそのギャップにショックを受けましたね。雑誌の写真などからイメージされる《孤風院》は、もっと静的できれいなものだと思っていました。しかし実際は、物置なのかホールなのか、なんだかよくわからないような場所。けっして廃墟のようなものではなく、人が常にいた痕跡と言うか、常になにかが変化している動的な感じを受けて、すごく衝撃的でした。
新堀 《孤風院》での学生たちのプロジェクトのきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
田中 熊本大学での教職を得て、私が熊本へ来たのは2年半前の2005年です。こちらに来てすぐに、孤風院の会の事務局代表である髙木淳二さんから呼ばれて会議に出席し、まだ実物を見ていないのにこれからやることを一緒に考えようと、いきなり活動に巻き込まれました。それまでは、庭の道具小屋、音楽のための家具、自然換気システムなど、いろいろな試行が行なわれてきましたが、今後はどうしようかと悩んでいた最中です。ちょうど木島千嘉さんからプロスペクター(今村創平、南泰裕、山本想太郎)の方々がいらっしゃってワークショップをされると聞いたので、彼らにお題を出してもらってそれに答えるというかたちがおもしろいのではないかと思いました。
彼らは当時、越後妻有アートトリエンナーレで足湯のプロジェクトを構想されていましたから、《孤風院》×木島安史×足湯という連想ゲームが出題され、学生とともに取り組みました。いくつか出た案から3つを選んでプロスペクターにプレゼンしたところ、窓にアジャストする「窓湯」がいいねということになりました。さらに窓湯のヴァリエーションを3案考え、それぞれのモックアップをつくりました。
最終決定の折には、九州大学の末廣香織先生らも駆けつけて下さり、結局こうしたものになりました。木島先生の作品でよく見られるドームや球体などと関連付け、「窓湯」の醸し出す球形が《孤風院》内部の空間と対峙して新たな境界領域をつくりだす、というものです。
ワークショップでつくられた「窓湯」
新堀 そのときにはどれくらいの人が参加したのですか。
田中 私の研究室からは4、5人ですね。コアメンバーはいましたが、入れ替わり立ち替わりで、関わったのは熊本大学、熊本県立大学、九州東海大学、崇城大学の4大学からのべ80人くらいでした。結局二カ年計画となり、最後は二カ月くらい現場に貼り付いていたという感じです。»

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