Renovation Interview 2009.3.20
太郎吉蔵からの問い──都市は誰のものか?
[インタビュー]五十嵐淳 聞き手:新堀学+倉方俊輔
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《街》との出会い
新堀学 滝川市での《街》の移築プロジェクトの経緯と、今後の展望を五十嵐淳さんの立場からお聞かせください。
五十嵐淳 数年前に滝川市でやっているアートイヴェントを僕が見学しに行った時、五十嵐威暢さんにはじめてお会いしました。その後、滝川でワークショップがありまして、僕と何人かの建築家が講師として呼ばれました。1泊2日で学生を対象にしたものです。威暢さんも講師として参加されていました。そのようなお付き合いが何度かあった後、移築プロジェクトの連絡をいただきました。プロジェクトは移築コストさえ厳しい状況でしたから、設計も自主的に協力するようなかたちでした。おそらく、僕の事務所が北海道にあることもあって、僕が指名されたのではないかと思っています。
《街》を解体する施行業者が六花亭関係の会社で、僕はほかの仕事の関係で六花亭と付き合いがありましたから、最初はその施工業者とカフェを見に行きました。現場を見ながら、本当に内装だけの店舗なのですべて厳密に解体するのは不可能だろうということを業者に言われました。それで、可能な限り残せる物は残しましょうというところからスタートしました。僕としては全部残してほしかったのですが、それは無理でした。
最初の案は、まるっきり移転しようという内容になっているのですけれど、その提案は無理になってしまったので、ほかの案を考えなければいけないと思いつつ、まだ手をつけていません。
倉方俊輔 最初に五十嵐威暢さんからはどのような説明があったのですか。なにをやってほしいと言われたのでしょう。
五十嵐 まずは、《街》の雰囲気をなんとか継承したいといわれました。五十嵐威暢さんの叔父にあたる五十嵐正さんが設計したインテリアなので非常に愛着があるのだと。最初につくった案を見せたところ、威暢さんからはもっとインパクトが欲しいと言われました。僕としては気に入っていた案だったのですが、威暢さんは話題性が欲しかったのかなと感じました。最初の案は、入れ子の真ん中に既存のカフェをそのまま移してしまって、そのまわりにコンクリートの家型のヴォリュームを配し、小窓をぽつぽつとあける。廻廊を下って行くと、そこにたどりつくという入れ子のような案でした。コスト調整がしやすいと思い、打放しコンクリート造にしました。壁厚を設定して、外表面の平米あたりの概算を計算しつつヴォリュームを決めるのです。現実は、なかなかそのとおりにはいかないとは思いつつ、予算をはじめから念頭にいれて案を出しました。
新堀 建物は、現在どのように残っているのですか。
五十嵐 現在はタイルなど剥がせるものを移動して、滝川の倉庫にしまっているようです。そのリストが欲しいと滝川市の担当の方にお願いしていて、その到着を待っています。
新堀 たいへんですね。リストといっても相当膨大な量になってしまう。
五十嵐 自分たちで見に行くことも考えたのですが、時間がないこともあって実行できていません。現況の図面をおこして、現況の模型もたちあげてはいたのですが、そのままは使えないことになってしまったので、いまあるパーツがどのようなものかを調べなくてはいけないと思っています。
新堀 最終的な提案はどのようなものになりそうですか。
五十嵐 正直、場所も決まっておらず、予算もわからない。予算が決まらないと設計ができないというのが僕の正直な気持ちです。僕は予算が決まってないとヴォリュームや構造、工法も決められないので、もう少し与条件が整ってほしいと思っています。用途地域によって法律も変わってきますし。
新堀 このプロジェクトがアンビルトのものとして進むこともありだと考えているのでしょうか。
五十嵐 せっかく関わっているので実現はしてほしい。そのためには協力もしますし、なにか考えるということも積極的にしたいと思います。それ以前の与条件は、僕があまり関われるところではないので、もう少し整備してほしいと思っています。移築とか保存というのは物ありきです。リノベーションであれば既存の建物をどうするかが問題で、場所も決まっているわけですし、状況や状態がすでにあるわけですが、今回はそういう与条件が一切ないので、現時点では考えるのが難しいです。
第1案模型写真、外観
同、内観
同、断面パース
クライアントは誰か?
新堀 さらにお尋ねしますが、このプロジェクトには厳密には「クライアント」がいません。そのことは取り組みにどう影響していますか。
五十嵐 NPOの理事会の議題にこのプロジェクトをあげたところ、反対意見もあったようです。そういったこともあって、現在は威暢さん個人のプロジェクトになっていると思います。威暢さんのノスタルジーそのもののようなプロジェクトですから、僕は威暢さんの反応を意識して案をつくろうと思っています。ただ、威暢さんは目利きなので、あの人がうなずくものはなんなのか悩みます。
新堀 先日のインタヴューで五十嵐威暢さんは、滝川での一連のプロジェクトを自分だけで囲い込むのではなくて開いていきたいと言っていました。「マイ・カップ・サポート・プロジェクト」においては、カップを買った人がクライアントという考えもできますよね。一方でその人たちの顔が見えないということもありますが。
五十嵐 僕は、あのプロジェクトを寄付を募る形式だと捉えていて、カップを買った人も施主としては考えていません。もちろんカップを置く場所の確保はしますし、もしかするとそれが空間を考えるきっかけになるのかもしれません。
それから忘れてはならないのは、あの場所にカフェができることでどれだけの滝川市民が喜ぶのか。少なからず《太郎吉蔵》を利用する人たちは、お茶が飲める場所ができればありがたいと思います。帯広にあった《街》は、あれだけ古い店にもかかわらず、常連さんが足繁く通うような店でした。お店の方の人柄もあったと思いますし、コーヒーがおいしいということもあったと思います。そういう記憶は移築しようがないので、雰囲気だけ移すということになると、どういうことになるのでしょう。
新堀 オーセンティシティにがちがちに縛られてもなにもできなくなってしまうかもしれない。あえて断ち切るという方針もありますよね。老木が倒れた。そこから出てくる芽は別ものだと。
五十嵐 パーツしか残らないという状態になって考えたのは、パーツの組み方や利用方法を威暢さんに委ねるという方法です。それがオブジェでもよいので、僕は空っぽな状態のものを提案するということも考えています。下手に、床や壁に組み込んでも空しいばかりなので。»
解体前の《街》
すべて、提供=五十嵐淳建築設計

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