プロローグレクチャー

●リノベーションか、新築か
太田──ところで意地悪な質問ですが、中谷さん、新築をやりたくないですか?(笑)

中谷――大学で建築学科に入ったとき、雑誌に名前が出てくるような建築家になることを当然意識していました。それが実はアイドル歌手や映画のトップスターのように、すごく低い確率でしかなれない世界であることに気づいても、以前は新築の設計しか考えていなかったんです。でも、自分の能力を客観的に見られるようになると、「僕、不動産できるな」「僕、現場知っている」と思うようになり、意図的にそれらの道をさらに吸収しようと思い、その結果、現在の仕事があるんです。でもリノベーションをしながら新築の仕事もしたいとずっと思っていて、実際に仕事も受けています。ところが、いまは来た仕事に対して、これはリノベーション、これは新築というふうにものすごくフラットな感じでどっちでもええやんと思っています。ただ会社経営としては、せっかくリノベーションで社名が雑誌などに出してもらえるから、僕がしゃべるときやお客さんの事例を出すときはリノベーションの物件を出すようにしてます。自分のなかではもうどっちでもええかなと思っていて、区別もしなくなりました。更地にもいろいろな制約や条件や建築基準法があって、それは建っているものにも当然あるので、不思議なほどにリノベーション、新築ということを意識しなくなっていますね。

難波――そうなりたいなあ。なかなかなれないけれど(笑)。

松村──学生も自然にはそうはならないでしょうね。やはりいまでも新築は新築と思っている。

難波――前回に話したことですが、建築のデザインをやろうとする人には、複雑な問題を解くことに喜びを感じるようなマゾヒスティックなセンスがないとダメなんだけれども、今の学生にはそういうセンスはまったくありません。単純に巨大な空間、巨大な彫刻としての建築を、自分ひとりのヴィジョンで作りたいという馬鹿な気持ちでいます。だから建築家が置かれている現実と、彼らの幻想の間には、巨大な落差があります。彼らがそのことにどの段階で気づくのか。僕はできるだけ早めにそういう幻想を潰してやるべきだと思っています。「東京大学にくるような学生にはセンスなんかないけれど、情報をコーディネートする力がある。それがお前らの唯一の特質なんだから、ともかくエゴなんか捨てろ」と言うようにしている。

松村――だけど結構講評会では、難波先生は「君それいいんだから、がんばって」とか学生に優しい声をかけていますよ。

難波――まあ懐柔も必要ですからね。僕にもエゴはあるけれども、問題はエゴの出し方です。学生には、ストレートにエゴを表出する、いわゆる天才的な、自己満足的な、英雄的な建築家像がある。しかしそうではないエゴの出し方があって、間接的なメディエーターを通してのエゴの出し方というのもあると思います。そういうのをエゴというのかどうかわからないけれども、フロイト流に言うとスーパーエゴと言うべきかもしれません。つまり内面化された集合的無意識みたいなもの、そういう感覚がないとリノベーションは成立しないと思います。

中谷――うちはリノベーションやっている会社ですから、求職の問い合わせでリノベーションをしたいという学生が来るんです。でも、なんで最初からリノベーションをやりたいと思えるのか不思議です。それで学生に訊くと、当然採用してもらおうと思ってきてますから言いすぎているところはあるのでしょうけれど、「これからは新築の時代ではない」「自分は新築の設計には魅力を感じない」とか言うてます。本心はどこにあるのかはわからないですが、うちで働いている若手のスタッフにも共通する「古い建物が好きなんです」という感覚は、僕らの同級生にはなかったんです。でも、それを言う人は一般の人でもすごく増えています。それは衣服や家具でも昔からアンティークはあったんですけれど、本物のアンティークには手が届かないまでも、70年代くらいのものを買うとか、そういうノリで建物を見る人がやはり増えてきたと思います。それは住宅でもそうだし、その感覚が出てきていて、僕はよい方向に向かっていると思います。

難波――僕は山口の田舎から出てきて30年くらいずっと東京にいて、最近大阪に3年くらいいて、また東京に帰ってきたんですが、大学生を含めて明らかにそういう感覚は大阪の人に多いような感じがします。東京の人は全部まっさらでないと嫌だ、みたいなところがある。だから僕が3年間かけてもなかなか大阪に馴染めなかった理由はそこにあるのではないか。時間が重層した空間にはすごく興味あるんですけれども。モダニストは大阪に馴染まない。

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