プロローグレクチャー

●変わる建築家/住宅メーカー
中谷──建築家の職能の話の前に、この動きがまだ小さな動きなのかどうかという点ですが、簡単に言うと、やはり最初はお客さんは変わった人やなという場合が多かったんです。これも本当に感覚値なんですけれども、20人に1人がうちの会社のやっていることに反応しているという実感をもててたんです。20人に1人というたら5%です。ところが、メディアでとり上げられたり、マンションをリノベーションしたという情報が広まって、現在のクライアントは結構普通の人が増えてきているんです。そして先ほどのパーセンテージがいまは5人に1人くらいになって、2割くらいのマーケットになっている。家電で15%になれば普及すると言われますが、ここまできたらバーンと普及して爆発的に住まいの選択肢が広がってくるのではないかなと実は思っているところです。一方でここくらいが止まりなのではないかという気もしています。
実は難波さんにご相談したいことがありまして、その話につながっているかなと思ったのが、例えば難波さんの「箱の家」シリーズと、私が倉庫をリノベーションしているものに、僕は通じるものがあると思っています。建築家である難波先生はその箱の家のコストや、デザインの完成度を高めて、あとはユーザーがMUJIの家具、MUJIのキッチンを買って、住まいとして作っていってくれたらいいという話と、私のクライアントたちがするオフィスビルの何もない空間、いわゆるオフィス空間があって、そこに家具を持ち込んで住んでいくスタイル。過去にはデザインの様式やムーヴメント、学派などがありましたけれど、僕は21世紀に入ってこれらの住宅を同じムーヴメントとして発表できないかなと考えています。それは新築やリノベーションということではなく、日本でこういう運動が起こったということを、将来の建築学科に入る学生たちが読むものに残すことができないかと相談したかったんです。
僕の興味は住宅供給にあって――どこかにデザイナーというのもちょこっと持っているんですけれども――、難波先生、松村先生は住宅供給やシステムなどについて研究をなさっているので、そこでデザイン運動に無理やりではなくもっていくことができないかと思っています。僕はそういう理論づけは全然できないので、その辺をご相談をしたかった。だから先生たちの研究と僕がしていることは共通項がものすごくあるんじゃないかと考えています。
建築家の職能は何かという話に戻ると、普段の仕事で、私も含め設計者がする自分の仕事が減ったとか、能力が発揮できなくなってきたということはまったく話していないんです。新築をずっとやってきたというよりも、本当に嫌というほどお客さんの顔を見る設計が多いので、すごく充実してやっています。リノベーションでも自分は建築士として仕事をしているという充実感ももっていますし、そういうところは建築家の職能として今後もあるなとすごく思います。

松村──去年住宅メーカーの商品開発担当者の座談会の司会をしたんです。あるメーカーでは、最近はもうシェルターの部分しか作らないという話がありました。いままではいわゆる生活提案、例えばこういうふうにしたら子供が賢くなりますとか、家庭が円満になるといったプランを提案し、それを部品で演出していくというかたちでそこに注力していたけれど、それはもうまったく通用しなくなってきた。では住宅メーカーのレゾン・デートルはいったいどこにあるのか。同じ住宅メーカーといっても個々違うわけで、すごくハードなメーカー的体質の会社やソフトを売っている会社だというように、それぞれ当然違うわけですが、ハードを売っている会社の場合、結局きちんとした性能の、きちっとした箱が作れるかどうかです。モデルハウスも一応作っているけれども、営業マンには何もしゃべるなと言っている(笑)。お客さんにその空間を見て感じてもらうだけでよくて、お客さんのほうが趣味がいいんだから、営業マンがしゃべるなということを守らせるのがもっとも今大変な仕事ですという話をしていました。
それは、さっきの建築家がどんなふうに関わるかというスタンスと同じで、住宅メーカーもいったい何を売ることでこれから生きていけばいいのかと悩んでいて、結論が出ているメーカーもある。それは成功しているかどうかはわかりませんけれども、先ほど中谷さんがおっしゃっていたように、がらんとしたところで何をするかということと相通ずる、とりあえずがらんとしたものをがちっと作るというところにメーカーとしても賭けている。水栓金物とかがらんとしたところに入れるものまでやりだしたらきりがないわけです。今日のような話がでてきたら、もはやメーカーが大量発注で作るというような世界ではない。状況としては非常に似ていると思いました。

難波──僕はかちっとした箱を作っているつもりです。

松村──その方向に来ているメーカーもいます。難波先生もメーカー立ち上げちゃうくらいの勢いで。いま時代はそこに来ています。

●リノベーション時代の建築家の位置
太田──今回の住まい手の方々は非常に意識の高いよく勉強されている方々だと思うのですが、こうした方々は、いつかきっと建築家の知識や実験性を追い抜いていくんじゃないか、とも思いました。いままではイームズや、『フラッシュダンス』の世界ですが、いずれハードテクノの省エネ住宅やアルミ製の箱の家や、プラスティックの軽量化住宅に住みたいというユーザーも出てくるのかもしれません。回帰的なモダニズムから、もっと先鋭的なモダニズムまで、みなが建築家になった社会であればこそ、プロとしての実験性が問われるような気がしました。そういうユーザーが育ってきていることは後押しされる感じがあるので、健康だという感じはします。

松村──健康ですね。情報量ではプロももう勝てなくなるわけです。インターネットは本当にそういうふうにできている。ちょっとキーワードを入れたら、中学生でも僕よりすぐ表面的には詳しくなれるという状況にある。大学の学生の話になるけれども、そうすると、学生が建築雑誌を読んでちょっと建築の世界に来たとか、あるいはメディアをとにかく読んでいればよいということではないので、それでは何をどう身につけていったらいいのかというのは非常に難しい。フランスの建築学科の先生が、建築学科に来た学生には当面一切建築関係の雑誌は見ずに考えろという教育を、長年伝統としてやってきましたという話をしていました。それがいいかどうかは判然とはしないんだけれども、プロのあり方というのは今までは、情報をたくさんもっているということで位置づけることができた。もちろん情報だけで生き残っているわけではない人が独自の価値を作っていったんだろうけれど、多くの場合は情報をもっているだけで、こんなの知っていますか、お客さん知らないかもしれないけれどこんな椅子もあるんですと言うだけでありがたがられていたんです。現在はそれはありがたいことではなくなってしまいつつある。そうすると、どのようにして建築家は生きていくかというと……。

太田──住むという点においては、すべての人がプロフェッショナルというようにも考えられるので、建築家はそれを公共性の問題として捉えることを特に考えなくてはいけないのではないでしょうか。個々の知識として仕入れている部分が公共性とぶつかるとき、例えばファサードはどうするか、街路は良くなるのかという点にこそ、建築家の軸足があるようにも思うのですが。

難波──いや、建築のデザインはそんなに簡単なものではないと思う。建築の学生を見ていると、ものすごくいろいろなことを知っているし、わからない情報はインターネットですぐに調べることができるけれど、そういう学生が必ずしもデザインがうまいとは限らない。デザインには情報量だけではできない何か、うまい言葉がないから太田さんの言葉を使わせてもらうと、インテグレーションの力が不可欠です。前回のフォーラムでも話したのですが、情報量が多くなると同時に、リノベーションの場合は他者、あるいは誰が作ったかわからない建物のコンテクストにのってやらなくてはいけないし、さらに時間的、歴史的な条件も入ってくる。リノベーションには大量の情報の読み込みと同時に、それらをインテグレートする発想が必要なのです。だから僕としては、現段階では、モダニストとしてのスタンスを崩さずに、条件や変数の数を増やしていく方向でリノベーションを吸収したい、位置づけたいと思っているんです。しかし、どうもそれだけではうまくいかないような状況もあるということを、今日の皆さんの話を聞いていて感じました。テイストやライフスタイルはインテグレーションという方法に馴染まないものですから。カントじゃないけど、趣味の問題は難しい。

PREVIOUS | NEXT

HOME