プロローグセッション
●街の変化とこれからの姿
街づくりのガイドラインでは、街の変化をもう1回おさらいしております。これが安政3(1856)年頃の当該地域ですね[fig.4-01]。溜池や掘、古川などが残っていて、新橋辺りは大きな街区の武家屋敷があります。結構水があったのと、増上寺周辺に武家地や寺社地があります。これが明治16(1883)年頃の地図で、新橋周辺の大きかった武家屋敷が細分化されております。それから、新橋、横浜間の鉄道が開通している。まだ今の地図と比較するとメインの幹線道路などはできていません[fig.4-02]。これは昭和29(1954)年頃、今から50年くらい前です[fig.4-03]。幹線道路、六本木通りなど、都市の基盤整備がだんだん進んで、溜池も完全に埋め立てられ、新橋、東麻布などの辺りの区画整理が進んでいる状況です。今の骨格に近いものが昭和29年の頃だとわかります。これは航空写真ではないのですけれども、平成2(1990)年頃です[fig.4-04]。幹線道路に沿って大きなビルができたり、そこの周辺に緑地ができ始めた頃で、こういうことは今から15年前くらいに始まっています。それからこれは平成15(2003)年頃で、六本木ヒルズ、ミッドタウン、虎ノ門・麻布台計画、環状2号線、汐留などがプロットされています[fig.4-05]。黒川紀章さんがデザインしたナショナルギャラリーや泉ガーデンがあります。2003年頃にでき上がったり計画されているものが、周辺にこんなにあるのがわかります。
fig.4-01―02
fig.4-03―04
fig.4-05

2020、30年頃の図も考えております。環状2号線の開発周辺をもっと広げます。六本木地区、ミッドタウンのほか、ホテルオークラもこの頃には立て替えて、超高層に客室があって、昔の宴会場が別の場所にあるかもしれない。もともと古川があった所は低い土地ですが、そこに文化関係の施設を入れる。アメリカ大使館のある場所はアメリカンクラブとロシア大使館を一緒に再開発して、傾斜を使うなど、イメージですから人の土地に勝手に描いております(笑)。特徴は、例えば外苑東通りのような幹線、日比谷公園から愛宕に続く緑のネットワーク化を図ったり、水を活かした計画などです。もちろん水は開発される街区の中でも取り入れていきす。実際に絵を描いてみないとイメージがわからないということで描いておりますが、10000分の1の上に、1000分1や500分の1で考えたものを貼っているわけです。それぞれの特徴を、例えば霊南坂の辺りはどうしたらよいか、環状2号線の辺り、つまり新橋・虎ノ門の辺りはどうしたらよいか、古川の辺りはどうしたらよいか、六本木辺りはどうしたらよいか、ということをそれぞれ描いています。一番リアリティがありそうな例は、六本木辺りです。職・住・学・遊が近接した独特の魅力を持つ六本木周辺では、六本木ヒルズやミッドタウンプロジェクトの新しい街を起点に、それと連携した計画を行ない、地域全体が一体となって街の魅力を活かすと同時に、新たな魅力を生み出し、発信して、怖いお兄さんや不良外人を追い出そうという考え方です。
それから、霊南坂は尾根道と言われているのですけれども、その両側に傾斜した地形からなるこの地域は、傾斜に沿ったデッキと、屋上に緑化された建物で低層部を構成して、地形に馴染んだ計画の創出をしていったらよいと思います。それぞれの地域に分けて考えるべきだということです。全部をうちがやるのは、そんなにお金がありませんから無理ですけれども、こういう考え方をつくってあげる。例えばこんな街もあるだろう、という事例を挙げているわけです。
その時の道路は、例えば放射22号線を40メートルから60メートルに拡げるというように、開発ができる場所があれば、両側を拡げて60メートルを目標にしていったほうがよいのではないか、ということで、道路のヒエラルキーと特徴を持った道にしていくことが必要ではないかと考えております。それで、人の家に、勝手に模型をつくっております(笑)。ただ、航空制限があって高さはこのあたりでは250メートルくらいしか建たないから、建物の高さが結構揃ってしまう。これが上海やシカゴや、他の所みたいに高さ400メートルくらいで建つと、例えば青山に1棟、虎ノ門に1棟建てて、あそこのタワーのある所は虎ノ門だとか、あそこのタワーは新橋だとか、あそこは六本木だとかいうような、象徴になるような建物に集約すれば、もう少し低層部を生かしたデザインもできると思います。
30年後の街の姿ということで、30年後にコンピュータ技師の25歳の人の生活や、71歳のアクティヴシニアのDさん、ワーキングマザーのBさんの生活を想定しています。皆がそれぞれ楽しく、世代によっても暮らしやすい街になっているというイメージです。
みなとの街で考えるのは、もちろん、都市再生緊急整備地域の地域整備方針に則っていますし、「東京の新しい都市づくりビジョン」、「やすらぎのある世界都心・MINATO」(港区の都市基本構想)を下敷きにしています。
みなとの街を考える会のメンバーは青山やすしさん(元東京都副知事)、建築家の菊竹清訓さんなどで、グランドデザイン専門部会では早稲田大学教授の伊藤滋先生、電通顧問の福川伸次さんが頭になって、1、2カ月に一度の議論を重ね、まとめました。
今日は、森ビルの街づくりの考え方を、みなとの街に関連して進めている議論の中で、グランド・デザインという中間報告のまとめを見ていただき、なぜ六本木にあのような街ができたかということの一端がわかっていただけたのではないかな、と思っております。
街づくりの手法については、「垂直方向のヴァーティカルガーデンシティがあるなら、逆に水平に伸びていくホリゾンタルガーデンシティはないんですか」という質問が先ほど控え室であったのですけれども、都心の土地が高くて、民間がやろうとすると容積を上げないとインセンティブが与えられない(やる気がおきない)。別に金儲けをしようというわけではないですが、慈善事業をやっているわけでもなくて、ある程度民間のやる気が起きるような事業であるためには容積がなくてはいけない。もちろん、都心ではなくて環状8号線の外側とか、全部が画一的である必要はないのですが、そういう所では「ホリゾンタルガーデンシティ」もあるだろうし、混在もあるでしょう。街づくりの考え方はいろいろあると思います。特に私は計画者というか、今でもずっと設計をやっているわけですけれども、つくり手側からすると新しいものをつくりたい。
それから、こういう話を大学ですると、保存や歴史の先生は再開発が全面的に悪いという言い方をすることがあるのですが、大事なものはとっておく必要があるし、とっておくためには大きな街区で考える必要がある。ただただ保存ばかりが重要だという視点でいると、「このやかんは、誰かが産湯を使うときにお湯を沸かしたやかんで思い出が深い」等と、何でもとっておいたら家中ガラクタだらけになってしまうのと同じで、必要で残さなくてはいけない物については議論をして残し、残したりすることができるためには、敷地主義ではなくて街区でものを考えていったほうがよい。なにより大切なのは、グランドデザインの必要性です。皆で議論をして、街づくりをしていくためにグランドデザインを描くことの重要性というのはますます必要になってきているといえると思います。六本木ヒルズができて、お褒めをいただけば、逆にいろいろな意見もありますけれど、そういうことを考えています。
今日はリノベーションと申したのは、ちょっと遠い話だったかもしれませんが、冒頭で、さら地に何かつくるのではなくて、もともと住んでいた所につくるので、改修に近い部分もあると言えるかと思います。そういう意味でのリノベーションということで、森ビルの街づくりの考え方を紹介させていただきました。
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