プロローグレクチャー

●街づくりと公共性・税制の問題
難波和彦──今日は本当に考えさせられました。巨大な股裂き状態に陥ったというか、複雑な気持ちになりました。そういう意味でエキサイティングなレクチャーでした。五十嵐太郎さんを中心に若い世代の人たちが「リノベーション・スタディーズ」という活動をやっていて、『リノベーション・スタディーズ』(INAX出版、2001)、『リノベーションの現場』(彰国社、2005)という2冊の本が出ています。最近『リノベーションの現場』の出版記念パーティに行って話を聞いたのですが、今日の本さんの話とはまったく別の世界でした。しかし両方とも同じリノベーションと称している。僕たちもここでリノベーションについてずっと考えてきましたが、でもなかなかモノができないという感じがあります。どうやったらモノをつくれるのか、あるいはお金や法律の問題はどうなのか、と考えれば考えるほど迷路に迷い込んだようになり、リノベーションではなくてイノベーションでいくしかないか、という感じがしています。
だからリノベーションを相対化するようなレクチャーを聞きたいと思って本さんにお願いすることにしたわけです。そんな気分で聞いたので、本さんの話にすごく共感する面と、すごく抵抗を感じる面の両方がありました。共感した点は、都心居住が都市再生の中心課題として据えられている点です。これはすごく重要なことで、僕自身もそうなのですが、住まいながら仕事をする、仕事しながら住まう、そうしないと建築の設計をやっている人間は仕事に追われて家庭を放棄することになる(笑)。それを避けるにはやはり都心居住しかない。都心居住による職住近接こそが、コンパクトシティや都市再生の問題の根本的な解決策だと思います。その意味で本さんの提案で都心居住が基本に据えられている点にはすごく共感しました。ですが、それがリノベーションではなくイノベーションによって実現されるという点は、60年代や80年代のバブルの時期のプロジェクトに近いという感じがしました。1960年代に大学教育を受けた僕たちの世代、団塊の世代──今建築をリードしている人たちは完全にそういう世代です──にとって、70年代は都市から撤退して個人に埋没し、都市について語ることがタブーでした。それがポストモダンの潮流と絡み合っていったわけです。80年代のバブルで都市的なプロジェクトが再度勃興し、バブルがはじけた90年代以降は都市的な発想は再び消えて、リノベーションやコンバージョンの時代になった。僕は今日のお話を聞いていて、ちょっと経済が上向きになってきたことのひとつの表われなのかな、という感じがしました。
僕は大学のデザイン教育をしていますので、今日お聞きした話は左脳のほうに入れておきます。大学教育ではいわゆるグランドデザインもやらなくてはいけない、ということを押さえながら学生に対処しないと、僕の方が取り残されると感じました。一方でリノベーションに対する時代的な思い入れがあり、他方では昨今の景気回復によるイノベーションへの大きな潮流がある。両者をどう調整すればいいのかよくわからないので、頭の中で両者が渦巻いている状態で、まだ問題整理ができていません。
とはいえ、今までこのフォーラムでやってきたことを相対化する座標を、今日の本さんのお話で示していただいたと考えています。その意味で説得力のあるリアリティを感じました。一方でリノベーション的な設計、つまり既存のコンテクストを読み込んで、それとどう繋げるかを徹底して考えていく設計の仕方との距離のとり方を痛烈に学びました。建築家としては経済と社会的なことは絶対に考えないといけない。それが教育の中でも、実際の建築家の仕事からも抜けていることは明らかで、僕たちより少し上の世代の責任が大きいとは思います。今はほとんど大学の教育はそういう人たちがやっていますから。

松村──今日ご説明いただいた中間報告は、主に誰に向けての作業として収斂させていくのですか

──本当はいろいろな街づくりの議論をするためのたたき台です。例えば、アカデミーヒルズのようなところでこれを題材にして、建築家の人や都市計画の専門家がいろいろな議論を巻き起こすためのものです。そのなかで、われわれはこういうことを考えている、ということを語れることができれば、と考えています。だから、僕が社外に出て少しずつ語って、こういうのもあると示すことが議論の材料になっているかもしれません。本当はこういう発表以外に、違う考え方を紹介したり、こういう考え方でデザインした500分の1くらいで少しディテールもある模型をつくって議論したりしたほうがよいのかもしれません。

太田──少し見方を変えると、細分化した地権者の方々に、こういう街をつくろうという言い方で公共性について問いかけていると思うんです。つまり、高層かどうかということはまずは形式論であって、話をわかりやすくするための仕組みだと考えてみる。もともと、日本では土地は誰のものかというという問いに対して、私有権が何よりも優先されて、公共圏の議論までなかなか進まない。路地やお祭りの話など、ノスタルジーに訴えかけてもなかなか動かないものがある。そんなときに超高層の開発の絵を「これが現実です」と言って見せて、全く別の外部の論理をあからさまにする。そこで明らかになる問題は、実はリノベーションの抱えている問題と根は同じで、自分たちの持っている空間的権利を、地域や街区の可能性を広げるものとして一体的に捉えられるか、という我々自身の想像力への問いかけなのではないか。容積率を有効に使えるかということも、ひとつの言い方だと思うし、古い建物を上手く使いまわすのもひとつの言い方だと思います。先ほど、難波先生がおっしゃったような世代論的なものもあるかもしれませんけれども、僕らのものの言い方がとても閉じてしまっていて、個人的な言い方からしか空間利用の話ができなくなっている。そういうボキャブラリーの少なさが、こういうプロジェクトに対する賛成論にも反対論にも問題として現れるように思います。
それに関してですが、理念を最初におっしゃって、続いて安全と快適と潤いと賑わいというのが出てきましたけれども、これらの言葉はとても私的なイメージの上に立っていると思います。賑わいのある街にしても、賑わいを見る自分がいる、というように、非常にプライベートな視点からの言明に僕には聞こえています。人が集住して暮らしていることの直接的な喜びは、本当はもっと別の言葉で語られてもよいのではないか。ですから僕は今、集住することの意味や効果を、言葉からつくり出さなくてはいけないと思っています。

▲難波和彦氏


難波──太田さんの意見には、ちょっと異論があります。そんな問題ではないと思う。このリノベーションフォーラムで学んだことは、税制と、そしてやはりお金の問題です。地権者が超高層によって説得されるのは、やはりお金であって、公共性ではないと思う。リノベーションはファイナンスの問題が明確にならないから実現しないのだと思います。

太田──税政と公共に分けるというのは、ちょっと馴染めないんですけれど。

難波──もちろん、バックには公共性の理念があるのだけれども、日本の税制はそれを実現するような仕組みになっていないということを、僕たちはこのフォーラムで学んだのではないでしょうか。だからもう少し有効な経済的な動きが成立する税制を考えることのほうが必要だと思う。お上中心の還流型の税金の流れ方を変えるしかない、ということではないでしょうか。そういう議論抜きに公共性の理念を論じてもリアリティはないと思います。

太田──変わった後に建築はどうするのかという議論も、もう始められると思うんです。例えばアメリカの都市のように、地方税をその地方に還元する、都市でお金を回すことがそのまま地域の利益になるという仕組みをつくった場合に、建築もそれに対して変わらなくてはいけないと思う。そうすると、建築も必ず公共性に対して備えなくてはならなくなる。税制が変わってから考えるのではなくて、同時にやらないといけない。

難波──今日の本さんのお話は、そういう遠大なルートではなくて、経済の構造に乗ったうえでの都市再生でした。そういう論議でいけば、時間はかかるけども地権者は乗ってくるでしょう。それ以外の方法があるのかというのが僕にはよくわからないけれど、そこに公共性という問題を持ってきても地権者を説得するのは難しいと思う。

松村──公共性は難しいのでやめます(笑)。公共性はもっとディテールから生まれてくるもので、プランといったものではないと思います。例えば、今回の20年後のプランにディテールで欠けているとすると、そこに入る飲み屋や店の問題。そこで交わされる会話が公共性のベースになっているはずです。そういう豊かな公共性を育む場が、果たしてこういうプランでできるだろうかという漠然とした不安がある。全部がよそ行きの感じになって、小洒落てはいるけれども、それがこのビルにもあのビルにも入っている、という状態になってしまう。簡単に言うとすべてがスターバックスになることと公共性とは違う。都市にはそれに相応しい公共性を育む空間をつくる必要があると思うのですが、それと今日お話いただいたこととが地上レベルでどう結びついているのかなと思いました。

太田──それが実は僕が最初に質問したかったことです。スターバックスやブランドショップがどこにもできるということは、言ってみれば消費をベースに類似性を築き上げるということで、境内が持っていた類似性を代替しているようなものです。そういう類似性の一方で、街角でおじさんがおせんべいを焼いていたり、たい焼きを売っているという場所の差異をどうやって組み込んでいくかがテーマなのではないでしょうか。そういう差異に対しては、ハイライズではない建築の形式や、リノベーション的な空間がクローズアップされてくるのではないでしょうか。特に麻布十番的なストリートの開発は、まだまだやりようがいろいろあると思うし、必ず根強く残っている。そこで、いろいろな建築的な仕事はやれると思います。

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