プロローグセッション
●文化財のリノベーション――求道会館
近角常観というのは私の祖父であり、明治3(1870)年生まれの浄土真宗の僧侶です。その祖父が残した建物の保存改修の仕事を今説明した仕事と並行してずっとやってきたわけですけれども、祖父が残した建物の中に求道学舎という名の寄宿舎があって、その寄宿舎を住宅にリノベーションするという計画が進行中です。まだ成功したプロジェクトではなくて、まさに途上なので、幻に終わる危険もないわけではないんですけれども、今日はせっかくの機会なのでみなさんに知っていただきたいと思ってお話します。
私の祖父は滋賀県湖北町という琵琶湖のほとりにある、檀家数わずか25軒という貧乏寺に生まれました。勉強のために東京に出てきて、大学を卒業してすぐに宗教法案の反対運動で名を上げるんです。それで一躍、田舎の貧乏寺の僧侶の息子という存在から、本山のトップから非常に期待される若手活動家となり、褒美として本郷の一角、東大のすぐ前に600坪の土地をもらって、そこで寄宿舎を開くわけです。その前にヨーロッパ、アメリカで2年間、宗教事情の視察をし、ヨーロッパ、アメリカでのキリスト教の活動を見て非常にびっくりする。日本の仏教は檀家制で寺にこもって、社会とのつながりはあまり持っていないけれども、キリスト教はさまざまな分野で社会に出て活動をしているということで、大変刺激を受けて帰ってくる。それで本郷に頂いた600坪の土地で学生寮を始めて、そこで日曜講話を始めました。これはキリスト教の日曜礼拝の真似なんですけれども大勢人が集まってきて、その人たちが雨の日、雪の日なんか大変だろうということで大きな建物をつくってそこで説教を聞いてもらいたいという願望をもつんですね。それで武田五一に建築を頼むんです。これが明治36(1903)年です。武田五一は常観よりも2歳年下で、ちょうど同じ時期にヨーロッパ、アメリカに留学して、近代建築、アーツアンドクラフトやアールヌーヴォー、ユーゲントシュティール、ゼツェションなどを学んで帰ってきたばかりでした。そういう武田五一と出会って、常観は求道会館を建てたいという話をするんです。
fig.3-01=武田五一(左)/近角常観(右)
これが後年の常観と武田五一です[fig.3-01]。求道学舎といってもこういうような集団ですから[fig.3-02]、近所では乞食坊主が怪しげなことをしているということで、武田五一のような大変にスマートな人といると非常に不釣合いな感じなんですけれども、設計を依頼したんです。武田五一はなんとこの設計に12年かけて取り組みました。資金集めはたいへん難航し、長い年月のあいだ倹約に倹約を重ねて、こういう建物を建てたんです[fig.24]。この間、武田五一は3回設計をやり直して設計料を全額常観に寄付をするという大変な美談までくっついて、大正4(1915)年に完成します[fig.3-03]

fig.3-02 fig.3-03

fig.3-04
求道会館ができあがった時の姿はたぶんこうだっただろうということなんですけども、これが関東大震災で大変な被害を受けてしまい、亀裂の入ったペディメントの部分はそっくり解体してあとで木造を組み直して、装飾は何とか形だけ元どおりにしようとしてできたのがこれなんです[fig.3-04]。ですから大正12(1923)年から後はずっとこの形のいかにもみすぼらしい建築になっていました。これは東大の正門のすぐ近くにあるんですけども、東大の建築学科の先生方もほとんどこの建物の存在に気がつかなかったんです。そんなわけで、これはずっと長く忘れ去られ、後継者もなく50年間閉鎖されていたのですが、それが東京都の有形文化財に指定されて修復されることになったんです。
fig.3-05・06は50年間でどういうふうに壊れたかという見本ですけども、松村秀一先生が大学院生だった時に実測に来て頂いたことがあります。その時はまだ階段を昇れたと思いますが、雨漏りが始まってから10年くらいの間に腐って崩壊の道をたどっていました。それが文化財の補助事業というかたちでこのように修復されました。かかった費用は5億円ですが、その8割を東京都が補助、1割を文京区が補助ということで、リノベーションといってもこれほど手厚い事業はないというくらいです。中の様子もこんな状態だったのが、今はこのようになっています[fig.3-07]

上:fig.3-0506
下:fig.3-07

●求道学舎のリノベーション
fig.3-08・09
今の話は求道会館という建物についてなのですが、本郷通りから一本入った細い道のわずかな隙間からしか見えないこの敷地に、武田五一が大正15(1926)年に設計した求道学舎という建物があるんです[fig.3-08・09]。ここに建っていた建物は元々おんぼろで、まわりに倒れないようにつっかえ棒をしていたため、関東大震災で崩れなくてすんだのは大変な幸運だったんですけど、この先も学生たちをここに住まわせるのは心配だということで、常観が寄付を募って鉄筋コンクリートに建て替えたわけです。常観はこの時すでにかなり有名人になっていましたので、この寄付は3人の財界人に電話をしたらその日のうちに建設費が集まったということで、そういうパトロンによって整備が進んだわけです。このようにしてスタートした求道学舎ですが、年月を経て三代にわたって舎監も変わり、今から9年前くらいに最後の舎監が亡くなって、その後私の叔母が一人で頑張っていたんですが、とうとう最後の舎生がいなくなったので、今はまったくの無人になっています。鉄筋コンクリートの居住系の建物としては同潤会よりも古いものです。あの時期のものはほとんど全部壊されてしまって、残っている同潤会の建物も昭和ひと桁のものなので、大正期のもので関東圏で残っているのは、これがおそらく唯一なのではないかと言われています。先ほどの求道会館のほうは文化財指定を受け、その予算の中で大変幸せな改修ができたわけですけれども、これは居住系の建物なので、登録文化財にはなれるとは言われていますが、登録文化財にするとさらに制約も多いだろうということで、無指定のままリノベーションする計画が進んでいるわけです。
fig.3-10
fig.3-10が学生が使っていた通用口ですね。通用口の隣りにアーチがあって、これなんかは武田五一好みと言われている雰囲気のものだと思いますね。
fig.3-11は先ほどの求道会館の脇から見たところです。
fig.3-12は上から見たところです。
fig.34は南庭です。森の中にこういう状態で廃墟が残っているという風情ですね。fig.3-13は後ろ側のトイレを見たところです。

fig.3-11〜13

fig.3-14は真北から見たところです。
fig.3-15は屋上です。屋上の上に3階分を越えて樹が高くそびえているので、ちょっと庭のような感じになっているんですけれども、アスファルト防水も何度やりかえても駄目ですし、防水シートをかけてもそれも破れて、今はこの下の3階の部屋に屋根をつくって、その屋根で排水をしているという状態です。

fig.3-14・15

●文化財クラスの建物を住宅に
fig.3-16
こういう建物をコーポラティブで、しかも定期借地権分譲でやろう計画しています[fig.3-16]。コーポラティブの具体案については最後に説明します。普通、コーポラティブというとゼロから建設組合をつくってやるわけですけれども、この場合には元々建物があるので、実際に居住者が関与するのはインフィルのところだけです。コーポラティブ方式を使うけれども、求道学舎という歴史的な建物の再生を共同でやるという、そういう意識を持った人たちを集めたい。それで既存躯体を使っているし、定期借地権を使い、デベロッパーの入らないコーポラティブ方式を使ってやろうということです。私のもうひとつ別の顔は、宗教法人の代表になっているんですけれども、宗教法人としては長く組織として存続していくための基盤である土地を売却してしまうことはできない。この定期借地権は、60年間活動は少し低調になるけれども、60年後を期して土地、建物が返ってくるというスキームで同意をとってこういう計画を立てたんです。
fig.3-17
これは、fig.3-17に書いてあるんですけど、現存する鉄筋コンクリート造の集合住宅のなかでは最古であろうということであるし、この頃の武田五一は京都大学の教授になってしまっていて大変忙しく、お弟子の方が来てつくられたと言われておりますけど、それでも武田五一らしさが随所に出ている。それと階高が1、2階が3.18メートルと書いてありますが、上との関係で測っているので今風の言い方をしますと、ほとんど3.3メートルあります。3階部分は3.67メートルありますので、先ほどお話したスケルトンの水準からすると、かなりハイグレードのスケルトンだということになります。それとまわりの環境がよいとか、ちょっと文章表現がいかにも買わせようという表現になっているのは販売パンフレットから拾ってきているからで、今日の場にはふさわしくないですけれど(笑)。
fig.3-18・19は断面図で、天井まで3.18メートルと書いてありますが、測り方によっては3.27メートルですから、ほとんど3.3メートルあるわけです。1階から3階まで3.3、3.3、3.6という、今のマンションでは見られない階高になります。食堂だった部屋は今私の事務所になっていますが、天井高3.5メートルの部屋で仕事するというのはすごく気分がいい。これでいいアイディアが出ないとちょっと問題だというくらい、いい気分で仕事ができる空間です(笑)。今進めているリノベーションでは、厨房も食堂も全部住宅にしてしまう。トイレのある場所はエレベーターシャフトにして、廊下も室内に取り込もうと考えております。それから階段があるところはメゾネットにして室内に取り込んでしまおうということを考えています。

fig.3-018 fig.3-19

この全体計画では、結局全部裸にしてスケルトン状態にして、躯体を再生したあと、インフィルはすべて新たに工事していくことになります。
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