プロローグレクチャー

●究極のリノベーション
太田──リノベーション・フォーラムは今回で第4回目ですが、ある意味これまでで一番過激ではないかと思いました。求道学舎は文化財でもありますが、それを住居にして、さらに市場にのせるかたちにしようとなされています。その試み自体が、非常に特徴的だと思います。一方で、昔の建築を現代的な住居として使う時には、断熱の問題や間取りの問題など、多くの課題があると思います。今までのリノベーション・フォーラムで紹介された事例では、現代の住居に割と近いものをリノベーションしていたような気がしますが、求道学舎には過去と現代の間に大きな環境的差があるように感じました。それを今後どのように埋めていくのか、そしてコーポラティブというかたちでどのように住まいとしていくのか、ということに興味を持ちました。

難波――何度も言い続けてきたことですが、新築に比べてリノベーションはサイトスペシフィックというか、ビルディングスペシフィックというか、なかなか一般的な方法で対処できない、常に与えられたその条件を徹底的に調べて、それを読み取って、どう変えていくかという特殊解でしかない。近角さんの求道学舎のお仕事は、その極めつけのようなもので、最初から僕の言い続けていることを立証していただいたようなお仕事だと思いました。
NEXT21のほうでは、スケルトン・インフィルという理論と、明快にスケルトンインフィルあるいはクラディングという分け方をして、それを一般的な理論や方法、技術として共有できるようなものにしていこうと意図が表われたお仕事だと思いました。
そういう対照的な仕事を見るにつけて、またいつもと同じことを言うんですけれども、世の中に存在する大量の木造住宅というのはこういう考え方からすると、どういう位置づけになるんだろうか、もっとサイトスペシフィックな、ビルディングスペシフィックな仕事になっていくのだろうか、そういうものに対する理論はあるのだろうか。これは、このフォーラムを続けていくなかでいつかはぶち当たらなければならない問題として、頭の隅に置いておくべきことだと思いますが、リノベーションの非常に特殊な例の一角を見せていただいて感慨深いものがありました。

●SIに未来はあるか
▲松村秀一氏


松村――私もサポート/インフィル(あるいはスケルトン/インフィル)研究・開発には時々参加していたものですから、NEXT21の話は非常にわかります。また1994―95年頃に通産省(現経済産業省)のハウスジャパンプロジェクトが始まって、私は全体のまとめ役を、INAXさんはインフィルを担当されていましたけれども、実は、日本でのSIの展開についてはその頃から色々疑問をもってきたんです。例えば、日本ではハブラーケンが考えたことがかなり矮小化されて動いているということがあります。例えば、ハブラーケンの考えの最も重要な部分は、居住環境運営における意思決定の組織化の方法としての位置付けにこそあるのに、日本でのSIは単に建物を長持ちさせる理屈としてのみ捉えられていて、国交省がマンション総プロでSIと言っているのも、どうもそういうところから来ています。僕はSIに長く関わってきましたけれども、常に、どうしたものかな、いつ誰にどういうふうにはっきり言えばいいんだろうかと思いながら、ここまできているので、例えばこの点について、近角先生はどのようにお考えなのかお聞きしたい。
もう一つ、SIについて、僕がずっと気にしていることは、元々スケルトンを担う産業とインフィルを担う産業が別になるというコンセプトがあることです。 従来の建設産業では全部ゼネコンが請け負ってやっているけれど、SIではスケルトンをつくる人とインフィルをつくる人が別々の産業になるというのがハブラーケンの発想にはあります。
ここで少々ハブラーケンについて解説しますと、ハブラーケンは今もお元気でいらっしゃるオランダの建築家・学者です。1950年代に、彼がまだ若い頃、ある考えを主張するんです。その頃オランダをはじめとするヨーロッパでは公共住宅を画一的なプランでどんどんつくっていた。しかしそれは、あまりにも人間というものを無視したやり方ではないか、住む人々が主体性を持って参加できる道を切り開く方法論が必要だということで、今日スケルトン・インフィルと呼ばれる考え方を提案します。インフィルは住戸の内部を中心とする部分ですが、それぞれ個人が好きな自動車を買って同じ道路を走るように、それぞれが工業化された製品を買って自分で住戸のプランニングを決めればいい。そうすれば自分の生活は自分で決めるということを実現できるとハブラーケンは考えたわけです。産業的にも個人に対応する仕事と公共に対応する仕事があり、当然産業的にも別なものになると言っています。例えば道路と車だと、スケルトンは道路で、インフィルは車で、道路は建設産業、自動車は自動車産業でつくるというコンセプトです。
このコンセプトの実現可能性についてこのところ考えているのですが、インフィル産業がもし独立できるとすると、使う人寄りの、別の言葉で言えばライフスタイルに近くなる必要がある。間仕切りが動くとかそういうことでは産業にならないわけで、市場化するには何か付加価値がいる。例えば高齢者のためのインフィル、子育てのインフィルと考えていくと、建物レベルのスケルトン、あるいはティッシュレベルというもう少し大きな地区レベルがあり、それでインフィルという内装のレベルがあるんですけれども、そういうふうに分けて捉えることができなくなる。たとえば、高齢者のためのインフィルを考えた時に、その地域でどの程度介護サービスが充実しているのか、地域社会と高齢者の暮らしはどういう結びつき方をしているのか、という前提抜きにインフィルだけを考えることは実は非常に難しい。こういう前提条件だからインフィルはこれだけでも大丈夫となっても、地域社会が高齢者に対してあるサービスをしていないとすると、インフィルのほうでこんなこともしないといけないという依存関係が出てきて、スケルトンとインフィルを分けて考えることの意味、あるいはそもそも分けて考えられるのかわからなくなってくる。
混乱するような話をしてしまいましたが、僕は、従来日本で言われてきたようなSIはもう駄目ではないかと考えており、近角さんがSIに一番長く深く関わってこられているので、この先SIに未来の展望があるのかお聞きしたい。
求道学舎のお話はすごくおもしろい事例で、とくに利用しようとしているストックが日本離れして古いですし、予定通りに完成されたら随分インパクトの強い仕事になると思います。これから60年定期借地権をつけるということですが、竣工後140〜150年になってしまうというスパンで建物の運用を考えるのは、なんとなく日本的ではない。だけど物理的にはありえるということを示せるということと、それが歴史的建造物として保存の対象になっているのではないというレベルで動いた例としても、非常に説得力があってわかりやすい。なおかつ、これはコーポラティヴだというのが供給の形態としておもしろいです。宗教法人が賃貸として貸し出すのではなくて、分譲にしてしまうとおもしろくないけれども、コーポラティヴでそれができる。ただし、そのあと60年の間に、区分所有者としての所有権がどんどん移転されていきますが、そのあたりについて、初期段階でのコーポラティヴ、その後60年間の運営というのはどんなふうにイメージしたらよいのかお考えをお聞きしたい。大変おもしろいので、後で値段を教えていただけたらと思いました(笑)。

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