プロローグレクチャー

●日本の事情に根ざしたSIを
近角――5年くらい前に千葉大学でマンション学会が開かれた時、松村先生から今のようなSIに対する否定的な話をお聞きして大変びっくりしたんです。松村先生はSIの中心にいらして、外に向かって情報発信をされている方だと思っていたのでびっくりしたのですが、今お聞きして、考えが全然変わっていないことにまた大変びっくりしました(笑)。
確かに松村先生がおっしゃられているように、日本のSIというのは、ハブラーケンが最初考えたことや世界的な運動の意味とはまったく違う方向に進んでいることは間違いないです。それはストック志向というか、スケルトンの耐久性論というかたちで進んだという点がきわめて異色だと思います。それと、日本で議論されているストックの質は、ヨーロッパやアメリカのようなストックを目指しているわけではなくて、日本の事情に根ざしたきわめて独自のものです。例えばスラブをすごく厚くすることで相隣関係を解決しようとしたりしますが、これはどこの国でもやっていないことで、しかし日本ではどうもそういうことが必要になっている。あと、柱や壁が邪魔だというのはヨーロッパやアメリカにはほとんどない発想ですけれども、日本では自分の区画内に壁や柱があるのは嫌だということになっている。それから水まわりの位置についても、縦につながっているのが合理的なのですが、南のバルコニーの前にいって風呂に入りたいということが許されている。こういうことは日本的な展開を遂げていると思うわけです。
ただ、それがおかしな方向かというとそうではなくて、アジア的な居住環境というのか、アジアモンスーン地帯の住まいの中で、今求められているスケルトンには、ヨーロッパの壁式の住まいではとても解決できなかった何かがあるのではないかと思います。ですから、柱梁型でしかも厚い地盤、それはほとんど庭と家との関係を積層させていこうという発想です。しかし、その建物が都市にどういう姿で建ち現われるかということについてはほとんど関心がない。無理やり理屈をつくろうとしていますけど、それはない。僕は日本におけるSIがこういう方向に進んでいるのは、そういう風土的な原因が大きいのではないかと思っています。ですから、そういう意味ではまったくハブラーケンの考えとは違うし、今われわれがやろうとしているのはまったく新しいことで、それはある種のニーズに応えている。例えば、都市機構はこれからつくる首都圏の集合住宅は全部KSIという規格でつくりたいとを言っており、躯体がある程度高くなることも容認されながらその方向に進んで、しかもそれは支持されている。今後民間が供給する一般のマンションもKSI的な思考に追従していくとなると、それはニーズがあるということです。ですから、フリープランに対する願望、住まいを自分たちの手の届く範囲で自由にしつらえたいという欲求に対して、それをかなえられるスケルトンでないと住めないというコンセンサスがかなり広くある。これは、ハブラーケンの世界とは違う、現実に動いている別な話としてあるというのが第一点です。

●独自の展開に見る日本のSI
近角――二つ目は、今後SとIが別の産業として進むというハブラーケンの予言ですけれども、今SIブームがここ6〜7年くらい続いていて、でもやはり企業の方々、特にメーカーの方々がいまひとつ本気になれないというのは、なんだかんだいっても、やはりゼネコンの下請けとして入り込むという構造でないと建設業というのは自分たちに対して開かれてこないのではないかという懸念を抱いているからだと思います。今ハウスメーカーの方がリフォームやリノベーションに対して、積極的に取り組まれているのは、新築と違ってそこはゼネコン支配の場所ではないからです。インフィルが自立的にメーカーの自己権力として展開できる場所として、リフォームやリノベーションの市場はある。そういうふうにSIを考えていくと、これはインフィルの自立化運動としてSIはとらえるべきではないか。ですから、そういう意味で、今進んでいる方向でゼネコンが最終的にSIのリーダーシップをとって、同じようにゼネコンのつくる住宅になってしまうのであれば、このSIはほとんど意味のない運動になると思います。SとIがきちんと分離される構造で別々の産業として育っていく可能性があるとしたら、そちらのほうに賭けたいと思うわけです。
Iを分離しなければいけないというのは、産業の都合だけではなくて、財産権の問題が大きいと思います。厚いスラブの上に好きな家をつくりたいという時は、その家についての所有権はつくった本人が絶対持っていたいという強い願望が支えになっている。そういう意味では欧米と違い、財産権の問題で日本には借地権というのがあり、住宅に対して独立した財産権を法律が保障しているわけです。そういう欧米系の法律体系にはない慣習を持っている日本において、インフィルが自立するというのはそんなに遠いことではないと、逆に私は思っています。そんなに遠くない将来、インフィルが分離独立して一個の財産権を獲得することになるのではないか、そうなるとまさにインフィルは自立した産業になりうるし、そういった展開も可能になる。むしろ私はハブラーケンから離れてこういう展開をしている方向を、どんどん推し進めるべきではないかと考えています。

PREVIOUS | NEXT

HOME