プロローグレクチャー
●建築学科は今
司会――石山先生のレクチャーで、早稲田大学の学生さんはリノベーションの課題を出すと反応がよいというお話がありましたので、その辺りをとっかかりにディスカッションに入りたいと思います。難波先生の東大でもリノベーションを課題に出されていると思いますが、東京大学の学生さんの反応はいかがでしょうか?

難波和彦――僕は2003年10月から東大で教えているのですが、最初の設計課題で、いきなりリノベーションの課題を出したら、学生たちにつるし上げを食いました。これからはもう新築の時代じゃないと考えて、3年生の後半の最初の課題で学校のコンバージョン課題を出したのですが、最終講評が終わった直後に10人くらいの学生たちが話をしたいと言ってきて「僕たちはなぜこんな課題に取り組まなければいけないのか理解できない」という調子で詰め寄られたのです。僕は「これからは新築の時代ではないと考えるので、君たちのためにもずっとこういう課題を出すつもりである。嫌ならやめなさい」と、先ほど石山さんが言われたようなことを話して、引き続き後半の課題も同じテーマでやりました。僕の印象は石山さんとは少し違っていて、学生はまだ頭が十分にリノベーションの方向に切り替わっていないような気がします

難波和彦氏
▲難波和彦氏
石山修武――それはまず、学生への伝達の仕方がまずいからで「歴史的名作には増改築のものが多い」とやると、学生はむちゃくちゃやる気を出します。

難波――僕が出したリノベーション課題は、ごく普通の建物をどうするかという問題だから、ちょっと食いつきが悪かったのかもしれません。石山さんがいう通り、新築と違ってリノベーションは非常に高度で複雑な問題だし、これからはリノベーションの仕事が増えることは間違いありません。この1年半くらいの教育で、そういう状況が学生にも分かってきたので、リノベーション課題がだんだん根づいてきて、東大の学生も一生懸命やるようになりました。
リノベーションを取り上げるとき、いつも話題になるのは、技術的な問題や経済性の問題です。両者が重要であることは当然なのですが、それだけを問題にしている限り、建築家が入り込む余地はないような気がします。石山さんが《世田谷村》を設計されたとき、人工地盤を造ってそこに部品を差し込んでいけばいよいという話も一種の工法です。それはどういうことかというと、生活の仕方を住み手と考えるというか、その内容は全然問わないということなんです。具体的に言うと、建築家はプランニングは放棄するべきである、ということで、プランニングとは、基本的には近代建築においてライフスタイルなり生活の仕方を提案するということでしたから、それを全部部品を差し込んでいけばよいということにしてしまうと、確かに建築家の入り込む余地はないんです。
でも、コンバージョンをやっていると、明らかにうまい設計とそうでない設計があって、高度な問題ですから相当頭を絞らないとうまい設計は出てこないんです。つまらない設計でももちろん成立するんですが、うまい設計とつまらない設計を区別する尺度がまだないので、その辺の問題がはっきりしてきて何をつくるかが提案できないと絶対かうまくいかないと思います。今、設計をしている人間がそのなかにうまみを探したいから行くという面もあると思いますが、おそらくリノベーションの構法とマーケットの問題だけではなくて、何をどうつくるのかという問題意識がないと職能放棄になると思います。そうならないようにするには時間も手間もかかるので、経済的には成立しないという現状になっているのだと思います。学生たちには「しばらくはそういう方法でしか仕事はないよ」ということは言っているのですけれどもなかなか悩ましい問題で、地方都市の問題はそこにあると思います。


●住宅のリノベーションとそれ以外のリノベーション
石山――地方都市まで問題を広げると、案外デザインの面から設計家が必要になるんです。ただ住宅の中のリノベーションは、設計を外してしまった方が産業としては明快だと思います。いくつかのヒエラルキーがあって、ここからは設計が必要だけれど、この部分は設計家はいらないというのが、事務処理の問題もあるにしても合理的だということです。それは職能放棄ではなくて「見極める」というようなことで、設計者がいらないという方向に行くのがシステムだと思うわけです。

難波――それは石山さんと松村さんが共有できる価値観ですね。僕はちょっと違う意見を持っていますが。

石山――設計とかデザインをいらなくするためのシステムというのがやっぱりあって、生活にめちゃくちゃ密接していて、プロとアマチュアの差がないリノベーションが理想的な状態です。例えば、僕のおふくろは80歳をすぎていますけれども、彼女もグラフ用紙に住宅の平面図ぐらいは描ける。そのおふくろを見て思ったところもあるのですが、住宅全体がまだ宙ぶらりんになっていて、メーカーは住宅のユーザーと直接的にリノベーションを進めていくべき段階で、そこに設計者が介入しないことを目指していくべきだと思っています。

難波――石山さんがそういうことを言うのはちょっとおかしいと思います。いつも不思議に思うのですが、石山さんは建築について一般庶民の味方のようなことを言いながら、一方で自分がつくるものは全然そうではない。言葉は悪いですが、ある種のアートをつくられている。そういう建築をつくっている人が、こういうことを言うのは矛盾しているのではないでしょうか。

石山――いや、そうじゃない。単純なモダニズムはみな普遍を狙ったわけですが、僕には僕の個別なマーケットがあって、僕のマーケットは特別なものなんです。ほかの人は関係ないわけではないですけれども、その個別のものを難波先生はアートであると指摘していると思う。それは正しいが、アートもまた僕の個別なマーケットであるというのが正しい認識の仕方ではないかと思う。

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